知らせは、出張先のホテルで開いた朝刊のニュースからだった。2月27日(火)午前、野生コウノトリ八五郎の死骸がねぐら近くの林縁で発見された。2月6日に姿を消してから21日目の悲報だった。
2002年の8月5日にコウノトリの郷公園に飛来したオスのコウノトリにちなみ、当時のコウノトリ文化館館長があだ名を付けた。それが愛称となって広く知られる存在になったのは、彼が4年半の長きに渡って当地で暮らし続けたたからである。
2005年9月の試験放鳥に先立ち、先導役として多くのことを私たちに教えてくれた。その中で一番大切なことは、「野生は美しい」という感動であったと私は思う。それまでコウノトリには殆ど関心の無かった私が、街の上を悠々と飛ぶ八五郎の姿を見て心が震えるほどの美しさを覚えた。同じ感動をこの街に住むたくさんの人が感じてくれることが、コウノトリ野生復帰プロジェクトの原点ではないか、そう思った。
八五郎の死骸は、うつぶせになったまま、すでに食害の跡があったという。いつも人の視線にさらされ続けてきた彼が、人知れずひっそりと野生をまっとうしたことを知って、私は残念な気持ち以上に、「あっぱれ野性、死しても美しき」と感じずにいられない。感傷は無用。彼が野生としてここで生き、死んだ記憶さえ私たちの心に刻み込んでいれば。
以下は、毎日新聞但馬版の「ながぐつ観察記」の中で私が書いた原稿である。
「美しい」が未来の原点
コウノトリ(コウノトリ目コウノトリ科)
晩秋の色を映した円山川から、野生コウノトリがゆっくりと舞い上がった。羽ばたきが水面を揺らし、左に急旋回して下流に向かった。徐々に高度を上げながら、やがて来日岳を背景に大きく右旋回し、すみかであるコウノトリ保護増殖センターの谷へと消えた。
この写真を撮影した私の横では、NHKのハイビジョンカメラが回っていた。1月18日放映の「さわやか自然百景」【豊岡盆地 円山川】で、この時の映像が全国に流れた。10日間にわたる豊岡盆地でのロケ撮影で、撮影班が物にした唯一の「円山川のコウノトリ」カットだった。
出石川で牛飼いとコウノトリが一緒に写った有名なモノクロポスター写真がある。あのとき、絶滅へのカウントダウンが既に始まっていたことを思うと、「みんなで暮らしていた」というキャッチコピーに、悲壮感も重ねて読まずにいられない。
円山川下流に残された数少ない浅瀬に、野生コウノトリが時々舞い降りる。浅瀬を歩き回りながら、長いくちばしでドジョウやザリガニなどを苦労して探している。その横では、近年急激に数を増やしたカワウの群が翼の日干しをしている。河川改修で生まれた直線的で深い川は、潜水して魚を採るカワウにとって暮らしやすい環境となった。
「牛とコウノトリ」の風景は「カワウとコウノトリ」の風景に変わって、今私たちは目撃することができる。コウノトリが野生として暮らしてゆくために必要な環境とはどのようなものか、2002年8月に飛来した一羽の野生コウノトリが無言で教えてくれている。
野生コウノトリの飛ぶ姿は文句なしに美しい。その姿を一人でも多くの人に見てもらいたい。そして、同じように「美しい」と感じてくれるだけで、豊岡盆地の未来はもっと明るくなるのではないか。この写真を見ながらそんなことを思う。
飼育コウノトリの試験放鳥が、いいよ来年から始まる。
※2004年3月22日(月)毎日新聞但馬版掲載
最後に見たのはいつだったろうと、撮影データを調べてみた。昨年の9月18日、赤石の田んぼにいた八五郎がラストだった。ずいぶんご無沙汰してたんだな。そのときの未公開写真を3枚上げておきます。
結果的に、タネを残すことなく死んでしまったのですね。
残念ですが、これも野生の姿なのでしょう。
たぶん、また、第二の八五郎がやってきてくれることでしょう。
それを願うのみ、ですね。
ばんどりさん
> 結果的に、タネを残すことなく死んでしまったのですね。
そうなんです。
昨年迷い込んできた「愛媛」の愛称で呼ばれる野生個体が当地で生息中です。若いメスらしいですが、なんだか放鳥種と一緒になって公開ケージの給餌をあてにするような状況のようで…
いったん甘い汁の味を覚えてしまうと、渡り鳥の本能\はいとも簡単に放棄されてしまう事例を、別の種でも観察しています。人と自然の折り合い方というのは、つくづく難しいものだと思います。