さらばネスケ4.7


TAJIMANIA Sanctuaryの歴史は結構長い。ひっそりオープンさせたのが97年の夏だから、もう足掛け8年も続けていることになる。その間に起こったIT革命は、ドッグイヤーと呼ばれるスピードをはるかに越えた速さで過ぎていったような気がする。
標準ブラウザの座をIEに奪われたバージョン4の時代にあっても、私は執拗にネットスケープを愛用してきた。最初からネットスケープでチューニングしたHTMLだったから途中でIEに最適化することは嫌だったし、なによりもOS抱き合わせの強引な押し付けを厭わぬMSに徹底抗戦しようと思ったものだ。IEの世の中になっても、私の標準ブラウザはNetscape Communicator4.7でありつづけた。どうしても表示が出来ないページに出くわしたときにだけ、仕方なしにIEに切り替えるという方法でやってきた。
ネットスケープの内部事情については詳しくないが、IEが隆盛を極めるのに反比例して衰退してゆくのは素人目にも明らかであった。ネットスケープからスピンアウトしたプログラマーが、独自路線で細々とビルドアップを続けるという時代に突入。いくつかのモジラグループが出来上がっていった。ネットスケープ本体は4.7以降、鈍重で肥大化したブラウザに成り果てて、チープなハードリソースでの使用に耐えられなくなった。私のネットスケープは、したがって4.7でストップしたままとなってしまったのだ。
WEBブラウザに新しい波が来た。タブブラウザという、ひとつの窓の中に複数ページをタブ切替で見せようという仕掛け。複数ウィンドウを開いてそれらを切り替えるよりスマートなブラウズが可能だ。IEクローンのタブブラウザは国内でもいくつか出て、世界的にはオペラが先陣を切った。オペラはなかなか良かったが、かなりクセがあった。ページによっては意図しない結果で表示されるのが困りモノだった。そんなときにFirebirdを知る。ネットスケープの血を引くタブブラウザ開発グループのベータ版がネット公開されていた。0.7あたりで飛びついてフォローしてきたが、今後の私の標準ブラウザになりうると予感した。Firebirdという名前の商標トラブルがあって、Firefoxと変名してバーション1が正式リリースとなったのが2004年のこと。今はこのブラウザを信じて使いつづけている。
長くなったがここまでが前置き。ネスケ4.7に拘ってきたツケとして、スタイルシートを使った見栄えのよいページ作りということに目をつぶってきた。ネスケ4.7はCSS実装に重大な欠陥があり、IEではちゃんと表示できるCSS表示がネスケ4.7では激しく乱れることが多かった。ネスケ4.7で使える範囲でボチボチとスタイルシートも導入してきたが、それ以上のダイナミックな記述変更は行わないままだった。自分の標準ブラウザがFirefoxに移ろうと、ネスケ4.7でもちゃんと表示されるページ作りを几帳面に踏襲してきたのだ。
でも、ついにその牙城を自ら崩すときが来た。このBlogの導入だ。別に日記くらいCGIでも良かろうにと自分でも思う。しかし、流行りのBlogとやらを研究するために自サイトに導入したBlognPlusというPHPスクリプトに見事ハマってしまった。面白い。コンテンツを突っ込むことが楽しみになる仕掛けだ。なんと言っても見栄えがよい。カスタマイズに対してもフレキシブルだ。ただし、コテコテのCSSで固められている。つまりBlogを導入したことで「ネスケ4.7でもちゃんと表示される」という自分に課した縛りを解いてしまうことになったのだ。
上のスクリーンショットはネスケ4.7でのこのBlog表示結果である。写真や記事を追いかけてゆくことはできるし、レイアウトの乱れも致命的というほどではない。しかし別のタイプのBlogを表示させてみるともう無茶苦茶。記事を追いかけることは無理な状況だった。ネスケ4.7を今も大事に使っている人は世界中でごく僅かなのだろう。ごく少数のマイノリティのことを考えることは大事だ。そう思いながらネスケ4.7にこだわってHPを作ってきたけど、もう終わりにしようと思う。新しいものがよいということでは決してないが、過去のしがらみを吹っ切ることもいつかは必要だろう。
ネスケ4.7に対し、これだけのことを書くほどに思い入れがあったんだなあと、これから先もデスクトップから消えることがないであろう灯台のアイコンをチラっと横目で眺めてみた。嗚呼、速き時代を共に見つめた同志よ!

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