定年退職

代表電話に掛かった電話が総務課から転送されてきた。受話器を取った途端、懐かしい声が飛び込んできた。N病院のU技師長だった。この3月で定年を迎えることになり、その挨拶の電話ということであった。
U技師長との出会いは24年前にさかのぼる。当時放射線治療機器のエンジニアだった私の、一番最初の長期出張先がU技師長のいらしゃったK病院。国産化した大型装置の現地調整を先輩と二人で任された。就職して3年目の春だった。4ヶ月にわたる長い出張の間、現場の3人の放射線技師さんにはいろんな面で大変お世話になった。国産化といいながら、実際は現地設置してから細かい設計上のチューニングを行う必要があり、そんな開発業務の延長のような我々の仕事ぶりにも寛容と理解を示してもらった。
昼休みには壁打ちテニスをしたり、職員専用の風呂に一緒に入ったり、たまにはガード下の飲み屋にも連れて行ってもらった。私は90年に前職を退いたが、11年間の医療機器開発の仕事を根底で支えてくれていたのが、この時に得た経験だったように思う。その中でも一番大きなインパクトでその後いつまでも心の深いところに居続けたのが、末期小児ガンの子供の死だった。いつもとても元気にはしゃぎながら治療室に入っていった6歳くらいの男の子。ある日突然治療室に来なくなった。亡くなったことを技師さんから聞いて胸が締め付けられた。そして自分の関わっている仕事の尊さというものを、このとき初めて理解することになったのである。
田舎にUターンし、今の仕事に就いてから15年が経つ。医療とは無関係な仕事ではあるが、別のところでモチベーションを保ちながら過ごしている。長年ご無沙汰のU技師長は、当時営業担当だった方を通して私の連絡先を入手されたとのことだった。そうまでしてわざわざ連絡を頂いたことが嬉しかった。当時の懐かしい店の名前などを出して笑い合いながら、U技師長の変わらぬお人柄を感じた。いい仕事をしてたんだなあ。電話を切った後の余韻にひたりながら、若かりし日のシーンをフラッシュバックさせていた。U技師長、長年のお勤めご苦労様でした。

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