25年の約束の森へ(2)


明け方の激しい雨音で目が覚めた。板屋根の宿は、雨の音がまるで音楽のように部屋中に広がった。雨の憂鬱さではなく、その音は子守唄のように心地よかった。屋久島は雨の島だ。雨が命を育てている。その雨粒のリズムが体に染み込む。
布団から抜け出す頃には雨は上がり、洞窟風呂で朝の海を眺めた。なんて贅沢な朝だろう。夕食と同じ桟敷席で朝食を頂く。酔い覚めの体に優しいシンプルな食事が嬉しい。

食事の後、妻と浜に下りた。彼女は永田の砂をすくってお土産にした。この浜はアカウミガメの産卵地としても有名だ。学生時代、友と永田を訪ねたとき、明け方前の産卵シーンを観察した。素泊まり宿の「屋久の子の家」のお婆ちゃんが、カメの卵を茹でて出してくれたのも、当時の懐かしい思い出である。茹でても固まらないどろどろとした食感を覚えている。

日が射してきた。雨の森歩きを覚悟して準備した雨具も、どうやら使わずに済みそうだ。宿の展望テラスに上って、送陽邸のたたずまいを撮り残しておく。板屋根に置かれた不ぞろいの天然石が、美しい景観を創り出している。沖には、左から口永良部鳥、硫黄鳥、竹島が浮かんで見えた。

送陽邸では思わぬ出会いがあった。山尾三省さんの詩だ。この宿のために書き下ろしてくれたそうだ。ついこの間、三省さんの7回忌が営まれたところだという。
25年前、山から下りた後、一奏にある三省さんのご自宅を夫婦で訪ねた。夜の創作活動を終え、寝ておられるところをわざわざ起きて迎えてくださった。飲んでみるかと、出されたガジュツの苦さを忘れない。静かな笑顔で屋久島のことをいろいろ教えてくれた。新婚旅行で来たものの、山以外の見所も知らず、これから泊る宿も決めていない私たちに、三省さんの紹介でその後の旅を続けることができたのである。今回の旅で唯一の心残りがあるとすれば、三省さんのご仏壇で手を合わせることが出来なかったことだろう。
送陽邸に掲げられた三省さんの詩、最後はこう結んである。
「永田いなか浜は 深い癒しの浜である」
癒しの言葉が軽々しく使われる昨今、永田いなか浜の送陽邸は本物の癒しを私たちに与えてくれた。ご主人と息子さんに見送られ、去りがたい気持ちで車を出した。

永田の集落に立ち寄り、「屋久の子の家」のあったあたりで記念写真を撮る。お婆さんは亡くなり、今は家族の住宅になっていると聞いた。お婆さんから土産にもらったハイビスカスは、挿し木で根付き、33年経った今も私の実家の庭で生き続けている。
「屋久の子の家」は、屋久島の語り部・柴鉄生さんの手により永田いなか浜に再建されている。今回の旅では送陽邸とどちらにするか、最後まで迷った。次に来るときは、きっと「屋久の子の家」を訪ねてみようと思う。

今日の森歩きの前に、私たち夫婦にはやるべきことがあった。宮之浦の上屋久町役場を再訪すること。あのとき、山を下りたその足で、私たちは上屋久町役場に向かった。これまでの拙い私の人生の中で、この演出はピカイチではないかと今でも密かに思っている。夫婦の最初の仕事として二人で屋久島の山を登ることを企み、その一仕事を無事終えたあとで婚姻届を現地の役場に出したのだ。
上屋久町は昨年10月に統合されて屋久島町となっていた。親しい友達夫婦との今回の旅は、我が夫婦の銀婚式の記念旅行でもあった。夫婦のスタートラインに、25年ぶりに立ち戻ることができ、静かな感動が胸に押し寄せていた。

宮之浦川のほとりに洒落たカフェを見つけて入る。コーヒーだけのつもりが、美味しそうなメニューに釣られて少し早いランチをここで済ますことになった。JBLのスピーカーとマニアックなオーディオセット、質の高い音でジャズが流れていた。いい店だった。

時計回りで安房を目指す。途中、楠川の道端で車を止める。メジャーな屋久島登山口の一つ、楠川登山道の入口だ。1973年7月、サークルの合宿で初めてここから山に入ったのが、私の屋久島の始まりだ。その意味では、ここが原点である。
学生時代に3回、新婚旅行で4度目、この旅が私にとって5度目の屋久島となる。

安房から林道に入る。二車線の舗装道はバスも上がる。途中、何箇所かでヤクザルの群に出会った。ニホンザルの亜種で、小型で毛が長い。観光客が餌を与えるのであろう。車を止めても動じる様子はまったくなかった。ヤクシカと同様、獣害が問題になっている。
縄文杉ツアーの拠点、荒川ダムへの分岐を過ぎヤクスギランドへ。今回の屋久島旅行、何度か計画が頓挫した。ヤクシマシャクナゲの季節に本格登山をしようというのが最初の案だったが、ぐずぐずしているうちに季節が過ぎた。10月の私たちの結婚記念日に決行しようとしたがN夫妻との予定が合わず。
ようやく決行の運びとなったが、縄文杉へお連れするのは諦めてもらった。10時間の長い歩行時間で屋久島の主に会うだけの旅をするより、屋久島のエッセンスを広く浅く味わってもらうのがいいと思ったからだ。昨年から始めたN夫妻との「ダラダラ旅行」に、強行軍は似つかわしくない。といっても、今回の旅は「ダラダラ度」がかなり低い、シャッキリしたものではあったが。

ヤクスギランドは結構な車が入っていたが、前日の白谷雲水峡ほどではない。実際、1時間半のトレッキングはほとんど人に会うこともなく、静かに歩くことができた。
13時半に歩き始める。天気は下ってきていたが、雨はまだ大丈夫だった。ヤクスギランドは標高1000m、屋久島の中央に位置する自然休養林。ネーミングから来るチープさがマイナスポイントであるが、実際は整備された森の散策コースである。いたるところに切株更新や倒木更新が見られ、屋久の森の営みを身近に感じることが出来る。

これは千年杉と命名された屋久杉。木肌のゴツゴツ感は無いが、すくっと高く伸びた幹が美しい。

整備された木道を歩く。

こんな森の風景がいたるところで見られ、そのたびにため息をつく。

仏陀杉と命名された推定樹齢1800年の屋久杉。

渓流沿いを歩き、つり橋を渡り、選択した80分コースは変化に富んで楽しかった。屋久の森の生命力に触れ、私たちは十分に癒され満ち足りた気分になった。15時ちょうどに駐車場に戻ると、太忠岳のオベリスクが真正面に見えた。
ここからさらに車で15分ほど奥に入ったところに、紀元杉という縄文杉レベルの大木がある。私の計画ではここを最後に見ることにしていたのだが、ヤクスギランド散策ですっかり満足してしまったので、そのことをすっかり忘れてしまっていた。このレポートを書きながら、「あ、紀元杉に行くのを忘れてた」と、ちょっと悔しい思いをしているのである。

ヤクスギランドから下りて、安房から尾之間へと向かう。屋久島の南地区は亜熱帯の度合いが増し、南国ムードが漂う。
間違って、少し早めに幹線を逸れたのが怪我の功名。モッチョム岳と千尋の滝の一枚岩をステレオで見渡せるポイントに出た。濃密な照葉樹林が海までなだれ落ちるのが屋久島の海岸線の風景。この写真からもその様子が分かるだろう。

千尋の滝を遠望する展望台。ここも様変わりして、有名な観光スポットになっていた。

宿に入る前に、尾之間温泉に立ち寄る。N夫妻にはどうということのない村の温泉に過ぎなかったかもしれないが、我が夫婦にとっては思い出深い温泉である。
単純硫黄泉の熱めの湯。玉石の敷かれた湯船は昔と同じ。ヌルっとした肌触りが気持ちよい。25年前に内緒で入れてもらったぬる湯の別棟は、閉鎖されて久しいとの話だった。

2日目の夜は贅沢をして、新しいリゾートホテルのデラックスツイン。ここでの食事は最初からパス。一部屋に4人が寄り合い、マーケットで買い出した食材でチープ&リッチなディナー。この自前ディナーのために、Nさんはワインを2本自宅から運んでくれたのだった。
ロビー吹き抜けには屋久杉のレプリカがあった。アメリカ製で、製作費7200万円と書いてあった。縄文杉は7200年、ホテルのレプリカは7200万円。なんだかなあと思う。
ホテルの温泉もヌルリとした肌触りの気持ちのよい湯だった。21時半からラウンジのバーが始まり、軽食とカクテルを楽しんだあと部屋に戻った。考えてみれば、我が夫婦の新婚初夜は山小屋だったっけ。25年経って、ようやくそれらしい部屋に泊った。前夜の送陽邸とはまた違った、干渉されない自由を楽しむことができた。
外はすでに雨が降っており、テラス越しのモッチョム岳も低い雲に包まれたままだった。
(つづく)
撮影:2008/11/8 GX100+WC

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