冬の山陰路だらだら旅行(前半)

長く付き合っている友人夫妻と、夫婦どうし4人で温泉旅行に行こうと決めていた。その打合せ用にと立ち上げたメーリングリストの最初の書き込みが2005年8月30日。それから、お互いの身の回りで、いろんなことが起こった。それぞれに、短い間に大きな変化があって、そしてようやく、お互いの夫婦が「温泉、行こっか」と再び声を掛け合うことになったのである。
閉じてしまったメーリングリストを再開した。Yさんがネットで宿をとってくれた。我々にとっては、近くて遠い山陰の古い山の温泉、三朝(みささ)にしようと場所だけは少し前に決めていたのだ。出発直前まで、YさんとKさんは忙しくしていた。メーリングリストにはYさんから「だらだらしようね」、Kさんから「だらだら賛成」と投稿が上がり、二夫婦4人の「だらだら旅行」がいよいよ始まったのである。

洗車したてのKさんの車はピカピカで、雪に備えてこの機会にスノーに履き替えてあった。私の泥んこ車で行く案もあったが、Kさん号にして正解であった。行き先までの道のりは私の頭の中でほぼイメージされているが、Kさんはカーナビに正確な位置を入力し、その指示やら残り距離やらを気にしながら走るのが趣味とおっしゃる。まずはお昼はここにしようと、これだけは事前に調べた鳥取市内のイタ飯屋の電話番号をカーナビにセットしてスタート。
鳥取までの1時間半はあっという間。子供が小さかった頃はヤマハのコンクールによく連れてきたから、市内の地理は少しは詳しかった。もう少しというあたりで、席の予約のためお店に電話。何度かコールするが出ない。そうこうするうちにゴール近辺に到着。狭い路地のちょっとした飲み屋街だ。しばらく探してみたがそれらしい店を見つけられずあきらめた。

よく使う中心街のパーキングに車を入れる。すぐ近くに白壁の洒落た店を見つけ、お昼をここに決めた。通された二階の座敷は個室で、ちゃぶ台が二つあった。それぞれが違うメニューを注文して食べ比べる。私の頼んだ定食はカレイの煮付けが出た。ほかの3人はカニ寿司、モツ煮込み、ハヤシライス。それぞれに美味しいという感想だった。
「たくみ割烹店」というこのお店は結構古くからの老舗で、地産地消の看板も掛かっているように、地元の食材をちゃんと食べさせてくれる。美味しい食事に巡りあえて、お腹一杯幸せ気分で店を出る。しばらく付近のお店をブラブラと散策してから車を西に向けた。

海岸線沿いに9号線を西にひた走る。ウラニシ模様の海は荒れていた。KさんのiPodから流れる70年代ロックをBGMに、お互いの子供たちの話に相槌をうつ。子育てから開放されても、いくつになっても、親と子を繋ぐものに変わりはないのだ。
時間調整にと、東郷湖畔に一際異彩を放つ燕趙園(えんちょうえん)に寄ってみることに。前に一度ここを通りぬけたことがあったが、中に入るのは初めてである。そして二度目の訪問は決してないことが4人の確信であった。入園したとき、たまたま始まった中国雑技のステージショーを演じる女性たちには拍手を送った。

4時過ぎにチェックイン。二間続きの大きな部屋に案内された。客室に囲まれた日本庭園はよく手入れされており、山から引いてあるという水が音を立てて流れていた。庭の真ん中に大きなモミの木がまっすぐ立っており、このモミの木は三朝の町を散策していても目印としてどこからでもよく目だった。
説明によれば、元は個人の別荘だったのを旅館として使っているとか。部屋や設備は清潔で、ベテラン仲居さんの客ずれした饒舌ぶりには少し引いたが、我々の今回の旅のテーマ「だらだら」を全うするには十分満足できる宿だった。夕食は一番遅い6時半に、朝食も一番遅い8時半に、だらだらペースの時間設定をお願いした。

一息入れてから三朝の町に繰出す。温泉街といえば私たちのイメージは城崎であるが、外湯めぐりを基本とする城崎温泉の賑やかさとは程遠いものがある。逆に言えば、城崎温泉が、並外れた温泉街景観を作っていることに気づかされる。城崎の賑わいは旅の心を高揚させてくれるものがあるし、三朝の古い路地裏は、それはそれで旅情緒を醸してくれる。
古いものは古いままでよいと考えるのはヨソものの身勝手なのだろうか。集客のために、観光のためにと苦労して演出されることが、逆に浮いて見えてしまうことの方が多いのが世の常である。街路のショーウィンドウにカエルや鳥のフィギュアがコレクションしてあるのは、三朝の古い温泉情緒とは別もののように感じてしまう。それよりは、ヌードの看板を出した小汚い店の前を歩くほうが「気分」なのである。

三朝橋のたもとには名物の河原風呂がある。男性が3人ほどで浸かっているのが丸見えである。ひっきりなしに橋を行き交う車や、川向こうの大規模な旅館の窓や、昔とは違う視線に晒されての大開放野天風呂は、入るのに気前良さが必要だ。夕暮れに通りかかっただけの河原風呂であるが、夜には夜の風景があるのだろう。今回の私たちのだらだら旅行には縁が無かった。

町の真ん中を三徳川がまっすぐ流れる。5時を過ぎれば、町は薄暮の空の下で明かりをまたたかせ、三日月が山の端に浮かんでいた。ここの川風景はよい。ツルヨシが這い、季節にはカジカガエルの声がそこかしこから聞こえるという。カエルのフィギュアコレクションも、このカジカガエルにあやかったものという。
左岸が古くからの温泉街で、温泉宿の多くがこの中にある。右岸には400人・500人を収容する巨大な旅館が建ち並ぶ。その一軒の裏を通る遊歩道を歩いたが、趣向を凝らした風呂がしつらえてあった。たしかに、こういうところでゴージャスな気分を味わうのも一つだが、真心の行き届いた小さな旅館のもてなしを受けるのが、温泉旅行の楽しみでもある。

一回りすると空は天頂にわずかな明かりを残すだけだった。地酒屋で試飲した酒が回って、冷えた体が少しぬくもった。宿に戻る前に三朝温泉の元湯を訪ねる。温泉街を抜け、民家やアパートが点在する小道を少し行くとあった。「株湯」と呼ばれる。三朝の白狼伝説というのがあって、弓矢で射ろうとした老いた白狼の命を助けてやると、その狼に姿を変えていた主が夢枕に立ち楠の株根を掘れと告げた。そこから湧き出たのが株湯なんだと。
ラジウム泉として古くから湯治場として知られた三朝温泉。その元湯は今も公衆浴場として地元の人々が利用している。入湯料200円の自動券売機があった。横に出ていた飲用の温泉水を4人で飲んで元湯のルーツにあやかり、宿に戻った。

忘年会があるようで、入り口の歓迎縦看板の会社員が廊下で手持ち無沙汰にしていた。Kさんと風呂に入った。ちょうど先客の二人が上がったところで、我々二人の貸切となった。湯は無色透明に加えて無臭であった。イオウ分を含んだいわゆる温泉臭さが無いのである。非常に清潔な湯であった。しばらく湯に浸かっていると、肌がつるつるとしてくるのも気持ちよかった。
男同士、ちょっと互いの仕事の話をしてみたり、苦労話の一部を打ち明けてみたり、やがてそんなことはもうどうでもよくなって、後はただただ湯の中に身も心も開放しながら、「あ~」とか「ん~」とかの会話になって行ったのである。

湯から上がると部屋にお膳が出来ていた。三朝に来てまでカニを食べることはない。普通のメニューで頼んであった。食べきれないほどの食事に思えたが、自分たちのペースでだらだらとやっていると、全員がほとんど完食してしまうのが不思議だ。どれも美味しかった。飛びぬけて美味しいというわけでもないけど、満足のゆく食事を楽しむことができた。
よかったね、美味しかったね、満足したね。お腹一杯の私たち4人の誰彼となくそんな言葉が出た。近くの宴会場で行われていたはずの忘年会の喧騒も、まったく気にならないうちにお開きになったようだった。ほかの部屋からの騒音もなかった。本当に静かな宿だった。二つの部屋にそれぞれの夫婦が床を並べ、早めに布団にもぐりこんだ。庭を流れる水音だけが耳元に聞こえ、やがてそれも夢うつつに遠のいて行った。
後半へ

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