実家の父に頼まれて図書館の資料室まで行った。我が家のご先祖さまの中に、高名な絵描きが出ていることが最近の調査で分かった。家系図やら墓石なども調べて事実関係が調査された。
その絵描きさんが描いたという絵、このたび掛け軸となって日の目を見たというわけである。これがその一つで、その筋の人たちにとってはたいそうな値打ちもんらしい。
安永9年は西暦1780年。227年前の江戸時代中期の絵。狩野派の絵師ということだ。そういえば、亡くなった祖父をはじめ、我がファミリーには絵心のある人が結構いる。 私? ひょっとしてそのDNAを受け継いでいるのでしょうか?
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〉ひょっとしてそのDNAを受け継いで・・
勿論です。
狩野派ということですが、禅画みたいな洒脱なタッチが特に波の表\現に見られて、素晴らしいですね!
DNAのお話、うなずけます。
〉ひょっとしてそのDNAを受け継いで・・
写真というキャンバスに現れていると思います・・
なるほど〜
高名なご先祖さまとは比較になりませんが、
娘がどーいう訳か龍や蛇を好んで書きます。。恐い娘です…
少し前のK新聞に竹○の旧家から狩野派の絵師による史料が見つかった、という記事を見ましたが偶然でしょうか?
絵コンテはやはりDNAと、努力の賜物でしょう。
芸術というのは、テクニックは学習できますが、センスっちゅうのは教えたり教わったりするものではないですね。
ヱビスさん、まさにズバリです。深く突っ込まれると素性がバレるのでサラっと。
死んだじいさんは没年までスケッチブックに絵を描いてました。新聞の風刺漫画の模写でしたが、そのタッチは見事というほかありません。
この龍も模写だそうですが、Y先生によりますと、狩野派の作品は模写のほうが値打ちが高いとか?
模写は東洋絵画の根本なんですよね。書道を基本としたものだから。。
西洋でも模写は画学生にとって重要だったんですが、「個」の時代になって廃れていきました。
コピーの無い時代に、師匠の絵をいかに忠実に模写するかで、弟子も評価されていたのでしょうね。
忠実に模写するのは、やはり基本でしょうね。
中には、手本を見ながら、師匠を越えたいと思う人もいたのかな、と思いたくなります。
「出藍の誉れ」っちゅうやつですな。
すごいですね、ご先祖様にそんな方が!最近、日本画にはまっていまして、先日も狩野永徳展見てきたところです。1780年といえば、伊藤若沖や円山応挙が活躍した時代ですね。狩野派は特に徹底した模写教育で弟子を育て、それが隆盛を誇った一因でもあるそうですね。
旧香住町には応挙寺と呼ばれる大乗寺がありますし、なんか但馬北部と狩野派とはつながっているようですね。