昭和30年


山道をこの手で担ぎ上げた発電機で、7戸の山村に電気がともった。
それから7年後の昭和37年12月26日、雪の強まる宵の口、最後の一家が山を下りた。
その冨山さんの案内で、今日、金山まで歩いた。
アカショウビンが緑の中で鳴いた。


冨山さんの話で、山行レポートに書き漏らしたことを記しておく。
猟師でもある冨山さんが、この山で初めてイノシシを見たのが昭和40年(1965年)だったそうだ。それまでは一度も見たことが無かったという。
子供のころ、汽車で丹波を通ると、沿線の田んぼの山際にトタン柵が延々と続いている光景を見た。但馬にはそんなものは無かった。冨山さんが阿瀬渓谷の山で初めてイノシシと遭遇してから40余年。農耕地はトタンで囲われ、畦道には電気柵が張り巡らされた光景が、ここでもあたりまえになってしまった。

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2 throughts on "昭和30年"

  1. 当日、綾部から参加したコダマです。その節はお世話になりました。この記事拝見して、HPのメールからメールしたんですが、多分届いてないですよね?
    マヌケな話ですみません。
    アカショウビンの声を、この日から数日後に、自宅で2日だけ聞いたんです。
    金山で、この時に聞いて教えていただいてたのでわかりました。一人で恐る恐る裏山に入り、さがしましたが、もちろんいませんでした(笑)
    これからも楽しみに拝見させていただきます♪

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  2. コダマさん、コメントありがとうございます。
    フォームメールが届かなかったようで、申\し訳なかったですね。その節はご一緒できて楽しかったです。思いがけず、金山でアカショウビンが鳴いたのはうれしかったですね。今年はあちこちで声をよく聞くような気がします。でも姿は私も見てません。
    アカショウビンは海沿いに移動して人里を経て山に入ります。その途中で思いがけない場所で声が聞けるチャンスがあります。そちらからですと、由良川の源流あたりの森がアカショウビンのお気に入りかも知れませんね。また機会があればご一緒しましょう。

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