エンジニアの良心


ここのところ、音楽プレイヤーに変革が押し寄せている。それもビッグウェーブだ。我が青春時代の音楽プレイヤーは、レコードプレイヤーであり、カセットテープレコーダであった。やがてCDの時代が来てアナログレコード盤が消え、デジタル録音の時代になってカセットテープはMDとCD-Rにとってかわられた。いまやラジカセなどという言葉も、実にレトロな響きに聞こえてくる。
MD、CD-Rの時代になっても、アナログがデジタルに変わったとしても、音楽録音をリムーバブルなメディア上で行うという技術は受け継がれてきた。しかし、今迎えようとしているのはメディアレスの音楽プレイヤーの時代。シリコンオーディオと呼ばれる半導体メモリに音楽データを書き込むもの、HDプレイヤーと呼ばれる小型ハードディスクに音楽データを書き込むもの、音楽はついにメディアを介して伝播するものではなくなった。
HDプレイヤーの火付け役になったのは、いうまでもなくアップルのiPodだ。すごいものが出たと思った。1万曲の音楽データが入る? 自分の音楽ライブラリをオーディオルームから丸ごと外に持ち出せる? いやはや、音楽の楽しみ方がiPodの登場でガラリと変わったのだ。音楽はもっとカジュアルに、しかも聴きたいと思ったその曲が確実にプレイヤーから流れてくる。たとえ電車の中でもホテルのベッドの上でもだ。
iPodに続けと、デジタル家電メーカーは躍起だ。そんな中で否が応でも期待が高まるメーカーがあった。SONYだ。我が青春時代よりS・O・N・Yの4文字は、音楽ギアの神格化されたブランドだったからである。時が過ぎ、SONY神話の崩壊がささやかれ始めた。とくにパソコン分野での風評は惨憺たるもの。そんなSONYのパソコン部隊がiPodに挑戦状を叩きつけた。それがVAIO Pocketだった。
SONYが出す最初のiPod対抗のHDプレイヤーは、ウォークマンではなくてVAIOだったところが時代を反映している。リリースは2004年6月、前評判沸騰中のiPodミニの日本発売を翌月に控えた、SONYの大博打だった。iPodミニが出るまでにVAIO Pocketを出せ。営業戦略はおそらくそうだったに違いない。
iPodに無い機能が魅力だった。カラー液晶、アルバムジャケット表示、デジカメデータの保存と表示。デジカメ撮影データのポータブルストレージが欲しかった私は、この機能をあわせ持つHDプレイヤーVAIO Pocketの登場に浮き足立った。そして気づけばネット通販の予約購入のボタンをクリックしていたのであった。
さて、発売開始日にめでたく新製品を手にした私だったが、バッテリ系の初期トラブル(メーカーが呼ぶところの「初期不良」)ですぐに現品交換。代替機は同じトラブルは再発しなかったが、やはりバッテリ系の不安定さは残っているようだった。それでも、20GBのHDを積んだVAIO Pocketは、私の音楽ライブラリすべてを突っ込んでもなお余るくらいの収録パワーを持ち、もっぱらカーオディオにつないでお気に入りの曲を楽しむためのギアとしては、最低限の機能を持っていることは持っていた。
だがである、はっきり言ってしまえば、VAIO Pocketに仕込まれた操作プログラムはiPodの足元にも及ばぬプアーなものであった。膨大な曲データの中から、いかに聞きたい一曲をスピーディにスマートに検索できるか、それがポータブルデジタルプレイヤーの命ではないか。メニューの階層移動のアルゴリズムが全くなっていない。人の試行錯誤の操作にプログラムがまったくついてこないのだ。イライラばかりがつのった。
操作系は一歩譲ったとして、これだけは絶対に許せないことがあった。メーカーはそれが「仕様」だとおっしゃる。なんと、曲間の繋がったライブアルバムが、曲と曲の間で無残にブチ切られるのである。それも3秒とかのギャップが挿入される。ライブであろうが、ひとつの曲はひとつのデータユニットであって、その頭出しモジュールを忠実に作ったらこうなりました的プログラムなのだ。このプログラムを書いた人は、果たして音楽好きの人だったのだろうかと、素直な疑問をもったものである。ライブアルバムは曲間のオーディエンスのグルーブ感や空気感を感じたいから聴くものである。その一番おいしいところをカットして、頭のブチ切れた楽曲で演奏を開始したところでなんになるのだ。
[:下:]


半年が過ぎた。6月に新発売になったばかりのVAIO Pocketは、すでにSONYの直販サイトのラインナップから消えていた。販売完了のメッセージがあった。ヒトゴトだったSONY神話の崩壊は、まさに実感として自身で感じられるものとなった。そんな頃、VAIO Pocketのサポートサイトにひとつのアナウスメントが掲載された。
ファームウェアのバージョンアップの知らせだった。私が、そしてすべてのVAIO Pocketユーザが等しく感じた不満の多くが新しいバージョンで修正されるという。
なんということだ。はやばやと製造終了になろうかという装置に新しい命が吹き込まれる。それも無料で。ダウンロード開始日は12月24日とあった。VAIO Pocketを開発したエンジニアたちの照れた顔がチラと頭に浮かんだ。
「俺たちは、本当はここまで作りこんだ装置を提供したかったんだ」
「間に合わなかったけど、これはささやかなクリスマスプレゼント」
そんなメッセージが聞こえてくるようだった。クリスマスイブのファームウェアバーションアップに、エンジニアたちの良心と意地を見た。これでまた少し神話にひたっていられるかな、そう思いながら、VAIO PocketのGセンスに指をすべらせる私なのであった。(ヘッドライー テールライー♪  なんでやねん^^;)

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2 throughts on "エンジニアの良心"

  1. VAIO Pocketは再び息を吹き返した感があります。欲しいという人が増えました。なんせ、ATRAC3専用機だったのが今回のファームアップでMP3マシンになったのだから。でも私の耳で聴く限り、同程度のサンプリングレートで比較して、MP3よりATRAC3の音の方が深みがあって好きです。OpenMGで仕掛けられていたコピー回数の制限もネット配信曲以外では無制限になったし。
    って、これはPC側のSonicStageの話だったか。

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  2. ところで、写真撮影に使ったアルバムはELOの(not ELT)Out of the Blue。
    この意味だけど、何事も起きそうもない晴れ渡った真っ青な空から突如として異変が発生した、というニュアンスらしくって、日本語では「青天のヘキレキ」といった感じ。「思いもよらなかった」という意味。ちなみに、ジャケデザインは長岡秀星。ELOの最高傑作。

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