Messasge in a bottle


BS2をつけたらちょうどこの映画が始まった。何気なしに眺めているうちに、結局最後まで見てしまった。1999年公開のアメリカ映画。主演のケビン・コスナーと、この映画では名脇役のポール・ニューマンは知っていたけど、主演女優のロビン・ライト・ペンの名は知らなかった。
ネット検索すれば沢山ヒットするので、ストーリーとかはそちらで調べるとよい。手紙の入った空き瓶を、バツイチ女性が浜辺で拾うところから話が展開する。切ない大人の恋物語で、まあ、ラストシーンのこれ見よがしなワンパターン結末を見ちゃうと、それまでの静かな展開が帳消しになってしまうのが残念だが、まあ、それはそれで、落しどころというか、お涙頂戴というか、「切ないなあ」なんて思いながらエンドロールを迎えるのもこの歳なら悪くはない。心に残る映画ではあった。
手紙というのは、今の時代になってダイレクト・メールくらいしか思いつかない。セール案内、学習塾、選挙運動。人と人の文章によるコミュニケーションは、すっかりEメールの役目になった。Eメールは確かに便利だ。相手にこちらの思いが伝わる時間は、手紙を書いた時代に比べれば極端に短くなった。相手がPCの前に座っていれば、情報は秒単位で世界中の相手に届く。
そんな時代だからこそ、手紙の入ったボトルを海で拾うという導入シーンは、それから始まるドラマティックな、あるいはミステリアスな、ストーリーを期待してしまう。映画の設定では、手紙は2年間海を漂ったことになっている。2年という時空を経て、運命の女性に届いたある男からの愛のメッセージ。愛の言霊は時を経てもパワフルだ。電子メールという実体の無い言葉は、声を発して相手に伝える代替として、電子が伝えているに過ぎない。PCのスイッチをOFFにした途端、それらは全て目の前から消え去るもの。
手紙を書いた時代を思い出している。書き言葉は緩やかな時間とともに共存し、言葉は実体としていつでもそこにあった。そういう時代を懐かしむだけではなく、もう一度自分の生活の中に取り戻してみるのも、振り返る世代の人間には必要なことかもしれない。

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