3.11は、わが国にとっての歴史的記憶として、永遠に語り継がれてゆく大災害であった。その3.11の朝に、Nさんは台湾で交通事故に遭ってしまった。一生忘れることのない記号として、3.11はより深く私たちの中に刻み込まれた。事故が起こってからの妻であるYさんの、取り乱すこと無く気丈な姿に、彼女の強さを改めて感じた。
せっかく準備してきた旅をこのまま終わらせないでほしいと、私たち夫婦には予定通りのツアーを勧めてくれたYさんの言葉に甘えることにした。この日のためにガイドを引き受けてくれたKさんやS君、そしてランチタイムに会う約束をしていたCさんたちに、緊急事態を知らせるのに少し手間取った。救急病院からホテルに戻り、夫婦で遅い朝食をとった後、KさんとS君の到着を待った。
KさんとS君とは、それぞれが豊岡市へ訪問した際に私は顔を合わせていたかも知れないが、今回の旅で初めてお互いに交流を持つこととなった。Kさんは台湾大学の学生で、S君はその先輩だと自己紹介があった。どちらも、有機農業や自然環境に深く関わっている若者で、初対面の私たち夫婦にとても友好的に接してくれた。
目的地は台北の南東にある山岳地帯・坪林(ピンリン)。台湾有数のお茶の産地で、Nさん夫妻がとりわけ楽しみにしていた場所である。私たちは、病院にいるNさん夫妻の分もこのツアーを楽しみ、学ぼうと思っていた。1時間ほどのドライブで山麓にある坪林の小さな町に着いた。小雨が降り続いており、古い街道沿いの町はいっそう静かに佇んでいた。
Kさんが最初に案内してくれたのは、オーガニックな石鹸を製造販売するお店。店主の女性に導かれて、その場で石鹸作りを体験した。S君が美味しいウーロン茶を淹れてくれた。
ランチは狭い谷を少し上がった山水龍吟というレストランがリザーブしてあった。ここで生態工法発展基金会のCさんとボスのRさんと合流。Cさんとの縁は2014年10月に豊岡に飛来し、六方田んぼで越冬したソデグロヅルがもたらしてくれた。豊岡への飛来から少し遅れて、Cさんたちがサポートしている金山地区の里山水田にもソデグロヅルの幼鳥が飛来し、そのつながりで豊岡を視察訪問された時の出会いだった。台湾のソデグロヅル飛来は、環境保全のシンボリックな存在として、飛来地で大歓迎されたのだった。
テーブルを囲み、オーナーこだわりのオーガニックな食事を頂きながら、台湾のことや日本のことで会話が進んだ。そして、これが今回の台湾旅行のNさんの目的のひとつだったのだが、3.11東日本大震災の台湾の方々への感謝の気持を小さなプレゼントに込めて、Nさんに代わって、私から皆さんへ手渡した。震災直後の支援活動にあたっては、いちはやく台湾の人々から暖かい志が届けられた。たまたま、その3.11の日に台湾を訪問することになった私たち日本人からの、ささやかな感謝の気持を伝えようと、Nさんと相談し準備をしたものだった。その3.11に、Nさん自身がアクシデントに遭遇するという、なんという運命のいたずらなのだろう。
台北でミーティングがあるというCさんとRさんとは、再会を約束してここで別れた。豊岡でCさんと出会い、きっと台湾に来て下さいとお誘いを受けた。それが、思いがけない形で今回実現できて嬉しかった。
食事の後は坪林茶業博物館に案内される。この博物館訪問も、茶事に熱心なNさんが楽しみにしていた場所だ。我が夫婦は茶事を嗜むことはないが、お茶の製造過程や道具などを興味深く見学することができた。同じ茶葉であっても、煎り方で呼称が変化することを知った。紅茶も烏龍茶も同じ茶葉から出来ていると教えられ、ちょっとだけ茶の世界に近付いた気がした。
坪林のお茶に詳しいKさんが、丁寧に館内展示の一つ一つを説明してくれた。改装直後のきれいな博物館見学は、とても有意義なものだった。
博物館から林道を辿って山深く入り込んで行く。開けた斜面には茶畑が広がり、茶の産地であることを実感する。展望が開けた場所に南山寺があった。足元から茶畑が斜面を下り、その底には曲がりくねった川の流れが見えた。ここは坪林のビューポイントとして知られているようだが、ツアーの日本人観光客が訪れることは少ない。境内でお参りし賽銭を入れる。お礼にと乾素麺を頂いた。
ここでUターンし、先程見下ろしていた谷の底に降り立つ。大舌湖という案内板があった。この川に沿って遊歩道が整備されているらしく、H君はGoogleストリートビューのカメラを背負って、このあたりの風景を自分が撮影したと説明してくれた。こちらがそのストリートビュー。
引き返して細い山道を辿り、坪林の町に下りてゆく。妻が車酔いをおこし、山中で一度車を止めて外に出たところで、私の念願であった山娘に遭遇した。道路の左側から飛んで、右側の林の中に逃げ込むまで、わずかな観察時間ではあったが、紛れもない台湾の国鳥Taiwan Blue Magpieであった。鮮やなブルーと、長い尾羽が印象的だった。今回の旅はコンパクトデジカメしか持ってこなかったから、その美しい姿を写真に残すことは叶わなかったのが残念だった。
台北のホテルまで送り届けてくれたCさんとH君は、丸一日、私たち二人のために自分たちの時間を割いてくれた。二人とも日本語が得意で会話に困ることもなかった。親切なガイドで私たちの旅の思い出をサポートしてくれた二人に、1年経った今でも心から感謝している。私たちが先に帰国した後で、入院中のNさんを気遣い見舞ってくれたやさしさも忘れない。本当にありがとう。
宿泊したホテルの前に広場があり、そこには山娘のモニュメントがあった。
Yさんと合流し、Wさんと一緒に台北から車で1時間ほど北の専門病院に移されたNさんを見舞う。集中治療室の面会時間が厳しく決められており、その時間に合わせて駆けつけたのだった。ベッドの上で顔を腫らしたNさんの姿は痛々しかったが、しっかり会話もできていて少し安心した。早い回復を祈りつつ、あとは適切な医療を信じて台北に戻った。
4人で作るはずだった3.11の坪林での思い出は、我が夫婦だけの思い出になってしまったが、1年が経ち、こうして報告することで、Nさん夫妻にも少しだけシェアできたのではないか。そして必ずもう一度、この旅をいつか4人でやり直したいと思う。
Yさんと3人、夕食を求めてホテル近くを散策する。雨上がりの夜の街は、たくさんの人で賑わっている。何軒か外から物色し、いい加減疲れてきたところで小さな大衆食堂に入る。3人で牛肉のラーメンを注文する。八角の匂いがきつくて濃厚な味付けであるが、台湾ソウルフードを食した気がした。
日本でおなじみのコンビニチェーンで少し買い物をしてから部屋に戻った。台湾の3.11は、長い一日となった。
2016.3.11 P340
2016台湾旅行記(その2)
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