友人のkoh氏から、男同士、気ままなドライブ旅行をしないかと誘いがあった。ここ数年、koh氏には7月にいろいろと厄介事が起こり、今年の7月は思い切って1週間の夏休みをとったのだという。この11月に予定されている、koh氏主宰の但馬コネクションの講師として、自然界の報道写真家・宮崎学さん(以下gakuさん)をお招きすることが決まっている。その下打ち合わせも兼ねて、gakuさんのアトリエとフィールドにお邪魔しようというのが、今回の旅の主目的である。その後の行程は行き当たりばったりということに決め、テント泊も考えて荷物を積み込んだ。
綾部インターから舞鶴道に乗り、小浜をめざす。小浜西で終点だった高速は、ひとつ先の小浜まで延伸しており、さらに敦賀へ向かって工事が進んでいる。敦賀まで繋がれば随分と便利になる。小浜インターから小浜港に向かい、koh氏が何年か前に入って美味しかったというお店を探す。ほどなく小浜公園の隣に、その店を見つけた。
「雅」という生簀料理を売りにした割烹風の店。「ここ、ここ」とkoh氏は再会を喜び、お薦めの焼鯖定食を頼んだ。これが結構なボリュームで、すっかり満腹。鯖は美味しかったけど、白米好きの私には御飯がもう少し美味しければと感じた。愛想のよい女将に見送られ、東に向かう。
R303鯖街道から湖北沿いに木之本インターにアクセス。北陸道を南下し、名神・中央道を走って駒ヶ根インターで高速を下りる。私は何年か前に一度お邪魔したことがあるので、その記憶を辿って迷うことなくgakuさんのアトリエに到着した。
アトリエは、事前の電話でgakuさんから聞いていた通りカオスな世界であったが、自然界の報道写真家の仕事場としてもっともふさわしい佇まいであった。私たち二人のスペース分だけ山が片寄せられたテーブルでお茶を頂きながら、最近のgakuさんの仕事のことやら、講演の打ち合わせやらで過ごす。
夜はgakuさん馴染みの店で沢山の山菜料理を頂きながら、四方山話に花が咲いた。終わりがけにアシスタントのモモンガさんも駆けつけてくれ、久しぶりの再会の時間を楽しんだ。プロの山屋が息子とやっている「山の店」は、見てくれこそ怪しげであるが、親爺の山料理は一級である。すっかりご馳走になって近くのビジネスホテルで一泊。
翌朝、再びgakuさんを訪ね、フィールド案内をして頂く。どこからクマが出てきてもおかしくないぜ。gakuさんはそういいながら、「ホーイ・ホイ」と時折大声を上げて獣道をゆく。獣の濃い気配を間近に感じる時間であった。
お昼は町まで戻って馴染みの蕎麦屋で。美味しい蕎麦だった。2日目の宿泊地を飛騨高山と決め、高山までの山越えルートをgakuさんに教わってから車を出した。gakuさんにはすっかりお世話になりました。11月の講演を楽しみに。
山また山、さらに山。そんな木曽の地道を長い時間走った。途中の展望所で木曽御岳山を望み、夕方17時に高山市内の温泉付ビジネスホテルにチェックイン。宿がとれなかったらテント泊という計画も、結局実行されることはなかったのは少しだけ残念ではある。
夕暮れの高山の町に繰り出し、保存地区の古い町並みを見て回る。お店は18時には閉まるので、静かな町の佇まいをゆっくり散歩する。男同士というのが場の風情にふさわしくなく、かなりそれは残念であった。
お祭りのときに出される山車(屋台)の保管庫が地区ごとにある。いつか山車を競いあう賑やかな高山のお祭りを見てみたいものだ。明るいうちに、お目当ての居酒屋「京や」に入店。180年から続くお店だそうで、歴史を感じる店内をやりての女将が仕切っていた。時間が経つにつれ外国人観光客も目立ちだし、お店の人は英語で応対していた。観光地の居酒屋でも、国際化は必要なのである。山菜の煮付けに箸を伸ばし、肉や野菜の盛り合わせを炭火焼しながら、地酒の久寿玉超辛口を戴く。実に旨い酒だった。
宿に戻り、最上階の温泉で汗を流す。寝湯がたいそう心地よく、全身をゆったり伸ばしてリラックス。高山市街地の明かりを見下ろす露天風呂もあり、湯船にゆっくり浸りながら二日間の旅に思いを巡らせた。
(後半に続く)
伊那から飛騨へ 男二人旅(前半)
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