なごる暑さの記憶
裏庭には山の萩が自然に育って、夏の間はちょうど良い垣根の役目を果たして
くれた。8月最後のこの日、褪せた朝の太陽はそれでもなごりの暑さを容赦な
く放出し続けていた。

萩の枝に羽音がして、アブラゼミがとまった。地中で過ごした長い年月の記憶
を、彼は今も携えているのだろうか。運命に導かれ羽化する劇的な自分の変化
の時に、彼はそれまでのすべての記憶を無くしてしまうのかもしれない。
鳴くだけ鳴いて、新しい子孫を残すだけのためのほんの短い時間を地上で生き
るには、地中での記憶はあまりにもむなしい。

ある人が、昆虫を人間の基準で幼虫と成虫に区分するのはおかしいと言った。
それ以来、私もそう思うようになった。セミにとって、地中での生活こそがそ
の全てであって、地上に出るのは繁殖のための一時的な活動であると考えれば、
空蝉という日本流の無常も、別の言葉に置き換えられても良い。

シャッターを押すと、アブラゼミは暑い空気を震わせ、最後の力で飛び去った。
【撮影データ】 31/Aug/97,PENTAX-KX with SIGMA70-300,FUJI-RIALA/100