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まんぴー丸の処女航海

 日曜日、待望の進水式。朝から突然の大雨でやきもきする。今日つきあってくれる
 江原の友人に電話を入れると「大丈夫、全然問題ないよ」との返事。たたきつける
 ような激しい雨を見ながら、不安にかられる。この時点で、当初同乗を許した息子
 の留守番を決定。彼は大いに拗ねる。後で分かったことだが、この激しい雨は但馬
 北部を中心としたものらしく、スタート予定の八鹿あたりではほとんど雨らしい雨
 は無かった模様。息子を連れてやれなかったのが残念であった。

 さてスタートには少し遅い時間ではあったが、八鹿駅の裏手から少し下ったバイパ
 ス道路の橋の下に艇をおろす。ピカピカのまんぴー丸はその鮮やかな赤を、少しく
 たびれかけた太陽の下で輝かせている。まんぴー丸とは言い得て妙である。何がと
 思われる諸兄は、canoe という英単語を中辞典あたりで引いてみるとよい。我が艇
 のカラーが注文通りのグリーンであったら、まんぴー丸の名は名付け親の口からは
 出てこなかっただろう。真っ赤であるところが、まんぴー丸という響きに、いかに
 も相応しいのである。その名付け親というのは、我が妻のことである。

 と、ここまで書き進めて、自分の文体が野田知佑しているのが分かる。そうだ、カ
 ヌーイストたる者、書く文章も野田ってなければいけない。幸い椎名誠の代わりに
 なりそうな友人もいる。彼はゴールデンレトリバーを飼っていて、その犬を但馬の
 カヌー犬第一号に仕立て上げる密かな夢を、私に語ってくれた。花火の音に驚いて、
 狭い土管に逃げ込み、にっちもさっちも行かなくなって、彼の息子に助け出される
 という失態をこの夏演じたばかりのレオ(犬の名前)には、よほど遠い夢の様に感
 じたが、そのことは友人には告げなかった。今日はその彼とこの川をくだろうとし
 ているのだった。

 荷物を積み、いよいよ進水の儀式を行う。和田山の酒屋が作っている地酒「但馬」
 を開け、うやうやしくまんぴー号にかける。ビンに残った酒を私が一口、友人が一
 口飲む。よく冷えていて旨い。胃の中にアルコールが広がると、ふわーっと首から
 上が熱くなる。気持ちの熱さと重なって、いやがおうでもハイになる。
 さあ進水だっ。

 気づくと、目の前に一目でそれと分かる格好の鮎とりのおっさんが立っていた。
 「兄ちゃんらぁ」と切り出す喋りは、関西訛りである。おっさんは言葉を続け、こ
 の下の瀬で鮎かけをする旨を我々に説明した。その関西訛り言葉は、反論の余地を
 与えない妙な説得力があった。自分たちの言葉にコンプレックスのある但馬人は、
 とかく関西弁に弱い。関西弁でまくし立てれば、たいがいの筋の通らないことでも
 通ってしまう。今回の鮎おっさんは、実に周到に自分の感情を押し殺しながら我々
 に説得を試み、私と友人は目を合わせてうなずく意外に為す術がなかった。

 河原の砂利道を、200mほど先の瀬の下までぶら下げて行けという、おっさんの
 最後の言葉にあやうく素直に従おうとした時、我に返った友人の口から初めての反
 撃の言葉を聞いた。説明しておくのを忘れたが、彼の艇もまんぴー号と同じキィウ
 ィ2なのだ。というより、彼のキィウィ2を見て私が真似をして買ったという方が
 正しい。2艇のキィウィを運ぶ重労働から我々を解放した友人の言葉と、実際にそ
 れを実行した我々の行動は、後で考えてみると頭をひねるばかりである。友人はこ
 う言い切ったのであった。
 「カヌーには乗らないで、川縁を引っ張って歩くから」

 彼は長く東京に居て、彼が若くして嫁を連れて田舎に帰ってきた時は、地元の友人
 を驚かせ、かつ大いに酒の席での話題を提供してくれもした。その彼は、いつもは
 東京の言葉を使う。彼が東京弁で関西弁の鮎おっさんに告げた一言で、おっさんは
 おっさんなりに納得したようであった。おっさんの出身を聞くと、なんと地元の八
 鹿の人であった。関西弁で立ち向かった彼も、しょせん但馬人。切れの良い東京弁
 には、返す言葉を忘れたようであった。

 友人と私は、ようやく艇を浮かべることができた。まんぴー号の進水である。朝方
 の雨が嘘のように、太陽が照りつける。我々は繋いだ犬を連れ歩くように、紐で繋
 がれたキィウィ2を引きずって歩く。私は鮎が驚いて逃げまくるようできるだけ大
 ききく波をたて、紳士な友人はできるだけ端を歩くよう努力を続ける。5分ほど下
 り、ようやく彼ら(仲間がもう一人いた)の仕事場から逃れた。

 ばしゃばしゃ川の中を歩くくらいなら、真ん中の深いところを静かに流れた方が鮎
 をビックリさせないで済んだような気がするが。まあ、これで鮎おっさんが納得し
 てくれたのだから、よしとしよう。ともあれ、まんぴー号の進水式の様子は、この
 ような次第であった。時、すでに12時35分。8Km先の江原の河原をめざし、
 最初のパドルを入れた。

 瀬の下からは大きな淀みになっていて、鏡のような滑らかな水面は、雲の影を写し
 ている。パドルを入れながら、まんぴー丸の調子を確かめる。いいぞ。OK。店で
 買った時はずいぶん長く思えたパドルも、幅の広いキィウィ2には丁度の長さであ
 る。直進性は申し分ない。その分回転性は良くないが、元々ホワイトウォータでス
 ラロームをする艇では無い。大きさと性質から見て、円山川のようなの静水中心の
 大きな川を流れるのに最適な艇である。

 調子を確かめた後、まずはビールを開ける。キィウィ2のシートの股ぐら部には、
 カップホルダーの穴が一体成形でしつらえてある。ちょっとした工夫であるが、設
 計者のこだわりが見える。股ぐらにビールを置き、ゆっくりとパドルを漕ぐ。隣に
 友人のキィウィ2。同じく股ぐらビールでパドリング。友人艇のカラーはオリーブ
 グリーンで、川の色にとけ込んで渋い。艶消しの燻し銀的色彩で進む友人艇は、よ
 く見ればこびりついた埃にまみれているだけであった。たまには洗ってやったらど
 うだ。

 川縁の高い枝に、2羽のアオサギが我々を見下ろしている。かつてコウノトリもこ
 のように暮らしていたのだろう。友人がポツリと呟く。突然の不法侵入者を見て驚
 いて飛び立つチドリやカモ。時折大きな魚が飛び跳ねて、波紋が広がる。糸トンボ
 や羽黒トンボが水面を飛んでいる。蝶が急いで川を渡ってゆく。

 やがて流れは左に大きくカーブし、伊佐橋をくぐる。橋の下の小さな堰を越え、左
 の流れに乗る。ニイチャンが一人鮎釣りをしている。聞けば浮かない返事が返って
 きた。柳の中州を右に見ながら早瀬を流れる。やがて右からの流れに再び出会い、
 緩いS字で流れが続く。左に大きな河原が現れ、3人連れの鮎釣りを見送る。前方
 にセメントブロックの堰堤が近づく。右にコースを取り、堰堤ブロックで下船。堰
 の落ち込みを調べる。そこそこの波が立っていて、ここを落ちるアドベンチャ精神
 がムクムクとわき上がる。沈が予想されたので、まずはすべての荷物を友人艇に移
 す。一旦上流に漕ぎだし、一気に落ち込みに突っ込む。予想したほどのフリーフォ
 ール感は無く、波をかぶってかなりの浸水を受けたものの、難なくクリア。友人か
 ら歓声と拍手がわく。一人前のパドラーになった錯覚に、しばし酔う。続いて友人
 が挑戦。私は決定的瞬間をカメラ狙いながら見守る。クリア。

 スタート地点から1時間ほど経過した。ここで昼食とする。EPIマイクロで湯を
 沸かし、カップヌードルを作る。箸は落ちているヨシの枯れ枝。かつての日清のコ
 マーシャルで、カヌー犬ガクを乗せた野田知佑がチキンラーメンを食して以来、カ
 ヌーイストの正しい昼食は即席ラーメンである認識が、我々にはあった。事実、濡
 れた体で河原で喰うカップラーメンほど旨い物は無いと信じ切っている。コマーシ
 ャルの映像と違うところは、野田はカヌーに乗ったままラーメンを食ったところで
 ある。カナディアンとカヤックの違いこそあれ、キィウィ2ならこれは可能である。
 次回は是非コマーシャルを地で行きたいと、密かに思っている。

 ラーメンの後のインスタントコーヒを胸にこぼして、ひとしきり大騒ぎした友人が
 Tシャツの汚れを落としに川に入る。鮎釣りの竿と、そのそばにオトリの魚籠を見
 つけた。残念。もう少し早くみつけておれば、オトリ鮎にとって安楽死が待ってい
 たろうに。これから早瀬の中を引きずり回されたあげくに死んでゆく、オトリ鮎の
 顛末を憂った。我々に見つけられ、盗み食いされて死んだ方が余程幸せだったに違
 いないのだ。白いTシャツをコーヒで汚した友人と私は、しきりに残念がった。

 再び漕ぎ出す。目の前の鋭角的な稜線は進美寺(しんめじ)山361m。日高町の
 ランドマークである。流れは進美寺山にぶつかって左に迂回する。山裾の淀みはコ
 イのすみかになっていて、藻の繁る水面を漕ぐと昼寝中のコイが大慌てで逃げまど
 う姿が見られる。岩陰で背びれと尻びれを水上に出して寝ている(かどうか知らな
 いが)コイがいた。コイも料理次第で旨く食べれるのだが、臭いという感覚からな
 かなか逃れられない。長野県佐久市の旅館で食べた鯉料理は確か旨かったなあ。

 大きな川幅が続く。左の薮はゴイサギのコロニーらしい。ギャッと鳴きながら、数
 羽が飛び立つ。アオサギやシラサギ類も混じる。やがて大きな中州が見えてくる。
 右はかなりの浅瀬のようで、鮎とりが2人、こっちにくるなよといわんばかりに、
 我々の方を見ているようだった。左の流れに入る。水量があり、流れもある。釣り
 人1名。宿南からの支川が左から流れ込み、やがて右からの流れと合流して再び川
 幅が広がる。流れはゆっくり右に向かい、浅瀬となって赤崎橋の下のブロックに阻
 まれる。橋下の堰を越え、右の河原に2台の車。左岸は竹藪が続く。ここで、カワ
 セミがコバルト色の背中をきらめかせて一直線に飛び去る。いつ見てもきれいな鳥
 だ。

 川岸の様相が変化する。神鍋山の噴火は円山川にまで溶岩を運んで、独特の景観を
 作り上げた。ちょっとした柱状節理もみられる。こんな風景を見られるのも、川を
 流れるものだけの特権である。左から、その神鍋山から流れてくる稲葉川がそそぎ
 込む。右の断崖を別のカワセミが横切ってゆく。江原の町が次第に近づいてくる。

 左に民家を見上げると、本日のゴールは目の前だ。広い瀞場から2つの早瀬に分か
 れて、再び大きな瀞場となる。ゆっくりとパドルを漕ぎ、左の河原に接岸。時間は
 3時。2時間半のまんぴー丸の処女航海は、こうして無事終了したのであった。

 一旦上陸し、すぐ近くの友人宅に戻る。家族が待っていて、今日の残りの時間を家
 族とのカヌー遊びに費やす。友人の一人艇を持ち出し、3艇で遊ぶ。私の艇に息子
 2人を乗せ、妻たじまは娘と友人艇に乗る。上の子にパドリングをさせるが、なか
 なか上手く漕ぐ。まあ、誰が漕いでも、どんな漕ぎ方をしても、大抵まっすぐ進む
 艇なのではあるが。ふと隣の艇を見ると、妻たじまが青色吐息である。すぐに、河
 原に倒れ込んでヒーヒー言っている。酔ったらしい。(-_-;

 カヌー酔いするもの、ライフジャケットで泳ぐもの、ワイワイ言いながら、夏の終
 わりの一日が暮れていったのである。