春のうららの円山川/江原〜玄武洞
すのーべる邸裏の河原をちょうど11時30分に出艇。雲一つ無い青空の下、 妻ーべるさんを前に乗せた渋いオリーブグリーンのすのーべる艇と、ホット レッドの派手なたじまもり艇がゆっくり漕ぎ出した。水量は十分、風も穏や かな絶好のカヌー日和であった。 右に大きくカーブして日置橋。その下の河原からは家族連れの焼き肉のいい 匂いが漂ってきた。川向こうの部落の子供たちは、台風のたびに早く帰宅さ せられた昔話をすのーべるさんから聞きつつ、二艇は滑るように鶴岡橋に向 かう。見渡す山々は萌葱(もえぎ)色。常緑樹の深い緑に混じって、芽吹き の淡い緑が一際まぶしい。「今頃の緑って、ほんと、いろんな色の緑で素敵 ねぇ」、妻ーべるさんが感動しながら言った。『ウチでも変わったミドリが 見れますけど』と言おうとしてやめた。知らない人のために、我が配偶者の 名前である。 いくつかの鳥が目を楽しませてくれるが、しっかり名前を言い当てられる物 が少ない。今日はすのーべるさんも私も図鑑を忘れてきた。鶴岡橋の手前で ルアーを投げている青年がいた。土居の堰堤が近くなると川幅もグンと広が る。すのーべるさんの指示で、左にコースを取った。水の落ちる音が大きく なり、左端の魚道の右の浅瀬に艇を付けた。妻ーべるさんを残し、二人で堰 堤の様子を調べた。魚道の縁のセメントに沿って艇を引きずり、本流に移す 方法を決め実行した。この堰堤越えが、江原から下流の円山川の最も厄介な 場所だ。この先、ポーテージすることは無かった。 土居堰堤下の右岸に広がる雑木林は、四季おりおりの表情を見せてくれて大 好きな風景だ。妻ーべるさんもすのーべるさんも同じことを言い、いつまで もこの風景が壊されないことを願った。上郷(かみのごう)橋が近づき、本 コース最後の橋下のブロック越えに備えたが、水量が十分にあって乗ったま ま通過した。特に危険を感じることはなかった。あとはのんびり下るのみ。 ここでこの日最初のビールをあける。ポリバケツに氷を入れて冷やしておい たビールだ。「ここから見る空は大きいんだよね」、いつしかすのーべるさ んは詩人に成り代わっていた。大きな空に、妙見山と蘇武岳の稜線が残雪を 輝かせていた。手前の大岡山の柔らかな丸みが、乳房のように横たわって見 えた。 府市場裏の小さな中州に上陸し昼食にした。カヌーの時はコレと決めている チキンラーメン。湯を沸かし、フーフー言いながら食べた。他のラーメンで もあるいはおにぎりでも美味しいのだろうけど、カヌーの時はこれが一番旨 いと信じているのは、野田知佑がテレビコマーシャルでカヌーの上で食べた、 それだけのせいである。人とは愚かなものである。食後はすのーべるさんが 旨いコーヒーを入れてくれた。少し濃いめのコーヒーを、ゆっくりと味わっ た。目の前の土手は菜の花が斜面を被い、その上を家族連れが楽しそうには しゃいで歩いていた。 再び漕ぎ出す。ここから下(しも)、八代川の水門までの間がこのコースの ハイライトである。適度な瀬が続き、所々に人工物はあっても、それ以上に 大きな自然の風景が目に映るのだ。休憩した中州のすぐ下は、左寄りにコー スを選ぶ。右岸沿いはブロックと障害物があり注意を要する。左岸の石河原 に小さな子連れの親子のピクニックを見送り、快調に下る。すのーべる号よ りやや先行して漕いだのは、この素晴らしい景色を夫婦二人だけで楽しんで もらおうという私の細やかな心配りだったのだが、果たして彼らは仲良く楽 しんでくれただろうか。彼らは生来議論好きの夫婦なのだ。 八代川が左から合流すると、円山川は一気に下流の様相に変わる。川幅が広 がり流れの無い単調な川である。堤防を走る国道にはひっきりなしに車が走 り、おそらく我々を発見して車内の話題を提供していることであろう。佐野 の上水道取水口を見上げる場所で、我々を待つ私の家族に電話する。勿論携 帯電話であるが、なんとも奇妙な取り合わせである。人力の原始的な乗り物 に乗って、最先端のケイタイである。普段は無粋な組み合わせであるが、今 日は後半、この艇に私の子供たちが乗り込む約束になっており、その連絡を するのにこれほど便利な道具は見あたらない。「あと、20分で着くから子 供たちを連れておいで」 何とも便利な世の中ではある。 出石川が右から合流し、川はますます深く広くなった。午後からの海風が次 第に強まり、川面は少し波立つようになった。風に向かって漕ぐのは辛かっ た。二人で漕ぐすのーべる艇を羨ましく思う頃、子供たちの黄色い声に迎え られた。妻ーべるさんに代わってこたじま/KAO、私の艇のバウシートにはこ たじま/YUUが乗り、ここから玄武洞を目指すことに決めていた。末っ子のこ たじま/GENは今回遠慮願うつもりが、彼の泣き落とし作戦で急遽乗せてゆく 羽目に。バウとスターンのシートの間に、緊急用にと思って持ってきた浮き 輪の空気を少し抜いてしつらえた、彼のための特別シートを設置した。クッ ションの効いたこの特等席、実は彼にとって地獄のお仕置きシートであった ことに気付いたのは、かなり後になってのことであった。 ここから先は昨年、Takao さんと下った。あの時より向かい風が厳しく、こ たじま/YUUの頼りないパドリングでさえ、一人で漕ぐよりは大分助かった。 まんまと作戦に成功したこたじま/GENは、もうお客様気分である。一方の私 は手を休める間もなく必死に漕ぐのであった。それは風が強かったことと、 もう一つ、沸き上がる生理的な欲求からであったのだが。堀川橋の手前、今 年はじめてのオオヨシキリの囀りを聞いた。すのーべるさんとうなずきあう。 これからこの河原も賑やかになるだろう。いつもの場所にジェットスキーの いつもの軍団がブリブリやっていた。川の中に赤いブイを浮かべてスラロー ムの練習をしているようだった。左岸ぎりぎり、奴らから離れて漕ぎ進むが、 下手な野郎が突っ込んで来やしないかとヒヤヒヤした。せめて音の出ないジ ェットは無いものか。あの音はどうにも嫌いである。 休憩を予定している一日市(ひといち)の中州が見える。あそこまで持つだ ろうか。冷や汗が出る。こんなところで親父の威厳を台無しにしては元も子 もないではないか。必死で漕ぐ。こたじま/YUUにも絶大なる協力を仰ぐ。疲 れてすぐパドルを休める彼を罵倒しながら漕ぎまくる。近くに寄ってきたす のーべる艇に、すかさず報告が入る。「お父さんは、今オシッコがしたいで すぅ!」 馬鹿野郎、呑気なこと言ってないで漕げ、漕げ、漕ぎまくれぃ。 やっとの思いで中州に上陸。至福の瞬間を迎えた。ホッ。この中州には人の 匂いは無かった。枯れた葦と、芽吹いたばかりの柳があった。おや、そんな ことよりお客様のこたじま/GENが激しく鳥肌を立てて震えているではないか。 出発して1時間ちょっと、そういや、私のパドルの下で雫を一身に受けてい たよな。それも普通の綿のシャツ着て。意外に艇内の水が溜まってないのは、 そうか、コイツのせいか! などと喜んでいる訳にも行かず、すぐにビショ 濡れの服を脱がせ、上の子用の着替えを着せる。飛び込み参加のこの子用の 着替えなど、もとより持ってないのであった。着替えさせたその上から、私 のゴアのカッパを着せ、ようやく人心地ついたようであった。気温は高かっ たとはいえ、水に濡れたシャツと向かい風で、彼の体温はかなり奪われてい たに違いない。それを文句も言わずに乗っていたのは、彼の幼い意地だった のだろう。ちょっと反省。 コーヒーを入れしばし休憩。出る時に、『水の上で読む』とばかり、カヌー ライフ誌の表紙のようなシーンを夢想してすのーべる艇に持ち込んだカヌー ライフ7号。「なかなか読めんなあ」、濡れてかなりふやけた7号があった。 一応、それ、私がとても苦労して手に入れたモンやからね。 ふと、足元を見ると測量用と思われる杭があった。下流にあるひのそ島の撤 去は決まったようだが、やがてここも同じ運命を辿るのだろうか。そんな不 安がよぎった。 元気になった子供たちを再び乗せ、一路玄武洞に向かった。向かい風はさら に強まったように感じた。波立つ川を漕ぎ切ったのは、陽も傾いた5時ちょ うどのことだった。 【 行動日 】96年 4月28日(日) 【 河 川 】円山川 【 流 域 】兵庫県北部但馬地方 【 コース 】日高町江原〜玄武洞 【漕行距離】9Km(前半)+8Km(後半) 【 天 候 】晴れ 【メンバー】[江原→今森グランド] すのーべるさん+妻ーべるさん on Keowee2 たじまもり on Keowee2 [今森グランド→玄武洞] すのーべるさん+こたじま/KAO on Keowee2、 たじまもり+こたじま/YUU+こたじま/GEN on Keowee2 【参考地図】5万図/出石、城崎 【 タイム 】江原河原 11:30 → 鶴岡橋 11:55 → 土居堰堤 12:05-20 → 上郷橋下(昼食) 12:35-13:20 → 八代川水門 13:50 → 蓼川大橋 14:00 → 今森グランド 14:30 → 円山大橋 14:45 → 立野大橋 15:05 → 堀川橋 15:15 → 一日市中州(休憩) 15:40-16:10 → 玄武洞 17:00 【 川情報 】★水量十分 ★土居堰堤では左魚道寄りポーテージ ★堀川橋下、ジェットスキーに注意 ★午後遅くから豊岡より下流を漕ぐ時は海風に苦しみます! |