MISC

メガピクセルデジカメの効用 (18/Nov/99)

2月に始めたフィールドスコープを使ったデジカメの超望遠撮影は、かなりうまくゆくようになった。夏鳥を追って山でも同じ撮影方法をしたいと思い、小型軽量のコーワのスコープTS-502/ZOOM(通称ミニスポ)も手に入れた。 スコープのケラレや、自由にならないフレーミングをカバーするのに、撮影後の画像データの編集作業は欠かせないし、その作業自身、やっていて楽しいものだ。

春以降のデジカメシーンの進展は著しく、2Mピクセルの登場で一気に市場に火がついた感がある。パソコン画像入力装置としてのデジカメから、ポスト銀塩カメラとしてのニーズへとシフトしつつある。 この流れの中で、市場からはVGAデジカメが早くも姿を消した。昨年6月に出たばかりのDSC-V100も製造を中止した。この8月、SANYOは新しいデジカメDSC-SX150を投入してきた。V100以来の高速画像処理技術はさらに進歩し、 VGAサイズでの動画クリップ撮影ができ、1360×1024サイズでの秒7枚の高速連写が可能。他メーカの追従を許さない、圧倒的な超高速デジカメとして発売直後から人気を博している。

撮影後のトリミング作業が必須の私の撮影スタイルでは、元画像の画素数の大きさが魅力だった。私にとってのメガピクセルの価値観は、プリントアウト時の画質評価ではなく、必要な部分をVGAサイズ以下に小さく切り出すための 元データの大きさというのが第一義であった。コンパクトであること、シャッター間隔が速いことも、もちろん重要なポイントであり、新しく買うとすればSX150以外の選択の余地は無いと思った。NikonのCoolPix-950にもひかれたが、 V100で体感した軽快感は捨て去ることが出来ない。

SX150発売から間も無い9月初旬のとある日、あまりにもあっけなく私はそのカメラを手にした。V100はスマートメディア、SX150はコンパクトフラッシュという、同じシリーズでありながらドラスティックなメディアチェンジを行ったSANYOであったが、 パラレル接続カードリーダを揃えることで、メディアの違いは全く問題にはならなかった。また、元データが一画像あたり300KBを越えるため、これらの保存のためにCD-R/RWドライブを追加することになった。メガピクセルデジカメ導入により、 PCハードウェア環境の充実も叶えられた。(とは言え、CPUはP5-133MHz/32MBのままなのだが…)

SX150による撮影は、新たな興奮を私にもたらしている。画像編集の自由度が格段に向上し、WEBサイズに縮小した後も、V100以上の画質で見せることが出来る。 撮影の喜び、編集の喜び、見せる喜び。これらのきっかけが、フィールドへと私の足を向わせる。


アウトドアレポートの新兵器 (18/Mar/99)

昨年5月、デジカメが欲しいという友人のすのーべるさんに、OLYMPUSのC-420Lを勧めた。当時はメガピクセル機がタケノコのように各社から発売され始めた時期でもあったが、WEB用ということで35万画素VGAデジカメを強く勧めた。1年近く経った今、デジカメは200万画素を越えた。 技術の進歩はとどまるところを知らない。もはや、デジカメは銀塩カメラの領域に確実にクロスオーバーしたのだ。

さて、彼が都会に出たついでに目的のデジカメを買ってきたのだが、彼の興味はもっぱら一緒に買ったSONYのICレコーダーの方にあった。手のひらにスッポリ収まる薄型の、フラッシュメモリを記憶媒体に持つ音声レコーダーだ。 さすがにSONYと思わせる機能的なデザインは、持つ喜びを与えてくれる。彼はこれを仕事上のメモ代わりに使うことで、情報の取りこぼしが無くなると説いた。いちいちノートを開いて(見直すのが嫌になるくらいの^^;)汚い字で書きなぐる手間が省けるのだという。 加えて、すのーべるさんは自画自賛する美声の持ち主(私は、さほどとは思わないが^^;)。その声によってメモリーされた要件の数々は、必要な時に聞き直すことにより、ほれぼれとしながら(笑)仕事へのフィードバックが図れるのだろう。 「これは良いから、ぜひ買いたまえ」と彼は熱心に勧めてくれたが、私は彼のように仕事熱心でもなく、小さな手帳でさえ、一週間分の見開きページは白いままのことが多いのだ。多分必要ないな。そう思って、しばらくこの装置のことを忘れて過ごしてきた。

デジカメの撮影テクニックを身に付け、鳥見の趣味がどんどん膨張して行った今年の冬。自宅の周りの散策で見つけた鳥の種類を、頭で記憶しながらレポートを書き続けた。ふとICレコーダーがあれば便利だと思い出した。また、春以降は、山歩きや川下りを再開する。 いつも時間の記録のために手帳を持ち歩いているが、録音の日時が音声と共に記録されるICレコーダーは、帰宅後のレポート書きにとても便利だと思っていた少し前の記憶が呼び戻された。

電気屋に立ち寄ると、すのーべるさんの持っていたSONYのICD-70という装置と、同じSONYのワンランク下の装置が並んで置いてあった。 店員が目ざとく近寄り、最新のがありますよと見せてくれたのがICD-65。なんと128分も録音できるそうな。これは驚きである。 コンパクトカセットの120分テープはジャムが発生するのであまり使わない。カセットでは90分とか100分とかが実用最長録音時間だったりする。音質のことは論外だが、録音時間に関してはコンパクトカセットを上回るICレコーダーの登場である。 また、ICD-70と並べてみると、ICD-65ではバッテリー部が中央から端に移されて、さらにスリムなボディになっている。(もっとも、単4電池2本から1本の仕様変更となっているのだが)  これだとシャツのポケットに入れても気にならない。ただし、ICD-70にあるデータサーチ用のジョッグダイヤルや、PCとのインターフェースコネクタなどが削除されている。その割に定価はICD-65の方が少し高いのは、フラッシュメモリの値段の差であろう。 ちなみに、ICD-70では最長24分録音である。

この装置を買って帰った当初、さっそく子供達の玩具に早変わり。早送り再生とか、逆のスロー再生とかの機能を使って遊んでいた。私は周波数特性の少し良い(といっても250〜3.4KHz)SPモードで使うことにしている。録音時間は64分である。 これだけあれば、例えば山を歩くとき、通過場所とその時間や、途中で見つけた生き物のことなど、胸ポケットからすぐに出してタップリ記録することができる。(自称)アウトドアライターにとって、これは強力な武器となるだろう。 しかしだ、すのーべるさんのように仕事で有効利用することも考えないと、こりゃ会社生活もいよいよ危ういかも知れない。(^^;


デジカメでもっと遊ぼう3 (04/Feb/99)

第二弾での予告通り、フィールドスコープによる望遠撮影を模索し、ある程度のノウハウが得られた。但馬野鳥の会の友人にスコープを借りて、SANYO DSC-V100との組み合わせでうまく撮影できる条件を探った。 借用したスコープはNikon Field Scope(旧タイプ)で20xのアイピースのものだ。私は眼鏡を掛けているので、最初はラバーのアイカップをたたんだままの状態で撮影に臨んだ。結果は思わしくなく、細心の注意を払って両者の光軸を合わせたとしても、 接合部の光の回り込みが邪魔をしてうまく写らなかった。また、うまく合わせたとしても、レンズのケラレが大きくて気になった。

自室に持ち込んであれこれ試しているうちに、接眼レンズとデジカメのレンズの間を一定距離に保持することで、ほぼ満足の行く撮影ができることが分かってきた。 折りたたんでいたアイカップを引き出し、その上からデジカメのレンズを当てた。このことにより、接合部の遮光効果と接眼レンズとの一定距離の確保の二つの効果が同時に満たされることになった。 このノウハウを試す被写体が、すぐにも目の前に現れたのはラッキーだった。2・3日前に庭木に挿しておいた半割ミカンを食べに、ヒヨドリがやってきたのである。部屋の窓をそろっと開けてスコープで覗くも、あまりに被写体が近すぎてピントが合わない。 部屋の隅っこまで下がってようやく最短距離でピントを合わせることができた。その時に撮影した衝撃の(笑)ショットがこれである。右上にレンズのケラレが少し残っているものの、十分に使える画像となった。

この写真に気をよくして、今後のデジカメ遊びの道具としてフィールドスコープは必須であるとの結論に達した。(^^; さっそく市内のカメラ屋に注文し、昨年10月にリニューアルとなったNikon Field Scope IIIという、シリーズの中では一番安物を購入した。アイピースは、20-45xズームを選択した。新しいスコープはボディにカワセミのホログラムのエンブレムも付いてお洒落。 さっそく家の周りの野鳥にレンズを向けることになるのだが、前の20xアイピースと少し事情が違うことが分かった。この接眼レンズの設計は低倍率ほど視野が狭くなるというもので、(安物)双眼鏡ズームなどで経験した現象とは逆であった。

ズームを最低の20倍にした時の写り具合の例がこれである。先のヒヨドリの写真と比べれば、視野の狭さが明らかである。ズームアップして行くに従ってこのケラレは少なくなって行くが、 最大の45倍でもよほどうまく光軸を合わせない限りケラレはなくならない。45倍での作例がこれであるが、光軸がズレてケラレがある上に、光量が足らずに暗い画像になっている。 ズームレンズ特有のものと思われるもう一つの問題は、倍率を上げた時の色収差が大きいこと。ジョウビタキの写真でも明らかなように、レンズ周辺部の映像は青く滲んでいる。この問題は本体レンズ構成の影響も大きいだろうし、 ひょっとして(高価な)EDレンズのスコープなら問題が発生しないかも知れない。

しかし、所詮デジカメは楽しい遊び道具と捉えるとき、色の多少の滲みやケラレなどは気にしないで行こう。特にケラレに関しては、フォトレタッチを前提としているので大きな障害にはならない。 WEB上で私の使う画像サイズは320×240ピクセル。オリジナルを640×480で撮影しておけば、十分に欲しいところだけ切り取ることができる。45倍で月を覗けばこんな感じで見えるし、鳥以外でもフィールドスコープテレ撮影は楽しめる。 VGAサイズの単焦点デジカメも、工夫次第でこのように楽しめるということで、このシリーズ掲載を締めることにする。


デジカメでもっと遊ぼう2 (11/Jan/99)

さて、VGAデジカメのお遊び第二弾として、双眼鏡テレなるものを紹介しよう。前回のルーペマクロと同様、貧乏人向けのデジカメアプリケーションとしてお勧めする。 ただし、「俺は画質なんだよ、ガ・シ・ツ」ってな人は止めた方がよろしい。「デジカメは必要かつ十分な軽快情報ツール」と割り切って考えられる人向けのアイデアである。

原理はルーペマクロと同じ。ルーペの代わりに双眼鏡を使うだけのことである。デジカメのレンズの前に双眼鏡の片目を当てるだけ。到って単純明解な仕掛けである。双眼鏡を肉眼で見て被写体にピントを合わせ、左手に双眼鏡、右手にデジカメに持ちながら、 液晶ファインダーで映像を確認しながらレンズの中心を合わせてゆく。この作業がなかなか面倒で、モタモタしている間に鳥などはさっさと逃げてしまうので注意。普段から、素早い光軸合わせの練習を積んでおくとよい。(笑)

双眼鏡の口径にもよるだろうが、私の持っているCANONの安物8倍では、かなり綿密に光軸を合わせない限り、フレームの周囲がケラれる。また不自然な状態で双眼鏡とデジカメを支えているので、両者のフィットがズレて隙間から光りが回り込む。 微妙に両手をコントロールしながら、ここぞという時にシャッターを切るが、いつまでも獲物がじっとしている訳はなく、このタイミングが非常にスリリングで楽しい。

作例として、カワラヒワの群れ(どこに居るか分からん^^;)やヒヨドリを上げておくが、いずれも周囲のケラレや色ムラが見られる。 したがって、フレーム全体をそのまま画像データに使うのではなく、影響の無い中央部分をレタッチでトリミングして使うのがよい。トリミングを前提にすると、デジカメの撮影モードは最大ピクセルで、また低圧縮モード(高画質モード)で撮影すべきだろう。

手持ちの道具が無いので今は効果が不明であるが、この双眼鏡テレ以上に安定した(超)望遠撮影が期待できる方法として、野鳥観察用の単眼のフィールドスコープとデジカメの組合わせがある。フィールドスコープはしっかりした三脚で固定されるし、 高倍率の綺麗な望遠撮影が期待できそうである。今度スコープを借りてやってみようと思っている。


デジカメでもっと遊ぼう (27/Dec/98)

私のデジカメは98年6月に発売されたSANYOのDSC-V100という35万画素(VGAクラス)CCDのものだ。発売当時、すでにデジカメの流れは確実にメガピクセルに向かっていた。 CCD画素数の多さだけで庶民はいとも簡単に騙され、トロい画像記録処理に文句も言わず、巨大ピクセル画像をパソコン画面からはみ出させて喜んでいる。おっと、メガピクセル信仰者は怪しげな写真をプリントアウトする密かな楽しみを持っているのだろうか。 なら、それもまた良い選択だろう。

DSC-V100は凄いカメラだと思った。巷のデジカメ評論家の圧倒的支持にも裏付けされた、最強のVGAカメラの登場だった。画像記録処理が素晴らしく速い。その感覚は、35mmコンパクトカメラで撮影するのと変わらないほどだ。 データ記録のためのディレイを感じないシャッター間隔。この処理能力が1/2VGAサイズながら毎秒10フレーム×5秒という動画記録をも成し遂げた。106×61×35mmというスクエアなポケットサイズのボディに、とんでもない技術が詰め込まれている。 私は毎日の通勤鞄の中に、休日にはウェストバッグの中に、このカメラをいつも忍ばせている。

DSC-V100を得てから、私のホームページの更新意欲は一気に高まった。すでに導入済みのカラースキャナーはほとんど出番がなくなった。川遊びや山歩きの記録に、このデジカメは実に満足のゆく仕事をしてくれる。しかし、不満が無いわけではない。 DSC-V100のレンズ系は、銀塩カメラで言えば「写るんです」タイプの、いわゆるフィルムカメラと同等のものである。パンフォーカスであり、接写ポジションは付いているものの、小さな物体を迫力ある大きさまで拡大することは叶わない。 どこだったかの(たぶん外国の)ホームページで見かけた「貧乏人のためのデジカメ接写テクニック」みたいなページに、写真用のルーペを使う方法が書いてあった。このインスタントな方法でも、ページ掲載レベルでは何ら問題の無い解像力を持っていた。 いつか私もやってみようとチャンスを狙っていた。

庭のサクラにぶら下がっていた天蚕の緑の繭を大きく写してみたい。その写欲の高まりの中、師走の街に車を飛ばした。カメラ屋の親爺に私の計画を告げ、出された3種類の写真道具としてのルーペを慎重に吟味し、KenkoのPHOTO LUPE 5X (FL-5X)というルーペに決めた。 パッケージに書かれていたスペックを備忘録として記録しておく。定価\8,300を\6,600で買った。

倍率レンズ構成レンズ有効径大きさ重量
5X1群2枚φ25.5φ52×70mm64g

さて、使い方はいたって原始的であり、カメラのレンズの前にこのルーペを置くだけ。液晶ファインダーのありがたみをこの時ほど感じることは無い。5倍に拡大された被写体が液晶画面に写る。ピントは被写体との距離を調整する以外になく、 液晶ファインダ無しにはこの撮影はありえない。レンズの口径が少しだけ小さく、フレームの角がルーペの構造物でケラれる。まあ、撮影後、レタッチで切り取れば問題ないだろう。ページで使う限り、このような安っぽい方法で撮影したとは思えない出来上がりになる。 ケラれのあるオリジナルの作例がサザンカ万札で、今回この天蚕の繭を撮影しようと、新しい仕掛けを考えたのであった。 今後フィールドに出る時には、このルーペをデジカメと一緒に持ち歩くことにしよう。



トレッキングポール (22/Oct/98)

中高年の登山ブームが続いている。お金が掛からない遊びと思いきや、人気スポットの山小屋などは地上のホテル並みの宿泊料金らしい。目的地への交通費もばかにならない。 まあ、私のように、土着型の日帰り山歩きをモットーとするものには、その日の食糧と登山口までのガソリン代程度の出費で存分に遊べるのが嬉しい。

山の道具も進歩を遂げ、私たちが学生だった二十数年前とは様変わりした。今ではニッカーを履く人は見掛けないし、重いフォエブスをザックに持ち歩く人も居ない。みんなスタイリッシュで道具も軽い。 最近、トレッキングポールというのを買った。スキー用のストックと思ってもらえば間違いないが、三段に伸び縮みするところが特徴である。 さらに、この三段ポールの上段と中段の繋ぎ部分は、スプリングによるショックアブソーバーが仕込んである。値段は、一本で7・8千円といったあたりだ。

下山開始直後に必ず痛み出す膝をかばうのに、山道に落ちている木の枝を杖代わりに下りたことが何度かあって、こりゃ山用のストックが要るなあと思った次第。 トレッキングポールと呼ばれることも、買ってみて始めて知った。すでに二度ばかり山歩きに使ってみたが、下山時のみならず、登りの時にも大いに頼りになることが分かった。 まだ、杖にお世話になるほどの年齢ではないが、一本のトレッキングポールがあるだけで、上り下りの疲労度がかなり軽減されることを知った。 両足にかかっていた力が、トレッキングポールという第三の足に分散されることが良いようだ。傾斜のきつい道ほど、その有効性がよく分かる。

普段から鍛えておけば、いつまでも道具に頼らなくても済むと思っても見る。しかし、私のような怠け者が、衰えて行く肉体を叱咤しながら山を歩くには、良い道具というものが大きな助けになることも確かである。


ヌートリア (09/Jul/98)

我が家の立つ新興住宅地は、下鉢山と呼ばれる丘陵の北斜面を造成したものである。下鉢山の東側から、この山の南を回り込むように穴見川が流れ、小野川と合流して六方川となる。 六方川は古くから豊岡盆地最大の圃場を潤してきた。その一方では低地である流域に甚大な水害をもたらす川でもあった。この小さな川に住民は感謝もし、惧れもしながら生きてきた。

昨年頃から、この六方水系で変な動物を見たという情報が多く聞かれるようになった。子供達が通学する穴見川の堤防からも、イタチだ、カワウソだ、果てはビーバーだという目撃報告が後を立たない。 動物の正体はヌートリア。南米産で、ネズミの化け物みたいな姿をしている。つまり元来、日本には棲息しなかった帰化動物なのである。日本原産の同類の動物にニホンカワウソがあるが、 こいつは絶滅に等しい状況である。ヌートリアは水生植物を食べて川縁に営巣して生活する。六方水系にヌートリアが棲息することは、すこし前から知られていたことであるが、目撃例は多くなかった。 ここのところの異常な生体数の目撃は、この動物の繁殖が進んでいることを意味する。条件の整った河川でなければヌートリアが棲息できないことを考えると、六方水系の自然環境がよく保たれていることを喜ぶべきであろう。 しかし一方で、ヌートリアによる栽培種の食害も懸念されている。水田に入り込んで稲を食い荒らす。畑に侵入して野菜を食い漁る。そのような被害報告が他の地域から出ているという。

帰化生物というのは、島国の日本にあっては人の介在無しには流入不可能な存在である。ヌートリアは戦中に毛皮や食肉目的に移入されたらしく、役目を終えてからも全国で増え続けていったものらしい。 ブラックバス(オオクチバス)も同様で、元来食用に芦ノ湖で管理されていたものが、釣り目的に全国の池に放流された結果が今の憂うべき事態を招いた。ジャンボタニシも然り。人の管理下から離れた帰化生物の生命力が 如何にしたたかであるかがよく分かる。

六方川でヌートリアを見掛けて、珍しがっている今はまだよしとしよう。ヌートリアやブラックバスの増殖によって、六方水系の生態系に大きな変化が起き、果ては農業被害をもたらすことになりはしないかと杞憂する。 天敵となるべき動物が居ないのなら、人がその役目を果たす以外にはないだろう。動物愛護という奇麗事では済まされない問題である。


カリスマ (09/May/98)

解散した日本のハードロックバンドX−JapanのギタリストHIDEが死んだ。その葬儀の様子を会場近くの本社から観察した、朝日新聞の天声人語に興味を持った。 茶髪の若者が溢れ、献花の長い列が2キロに渡って伸びていた。その列は整然とし、混乱はなかった。葬儀が終わったあとの周辺道路のゴミ屑を黙って拾い集める若者。そんな様子が綴られたいた。

後追い自殺のニュースもあったが、多くのファンはHIDEの死を悼むことで、心の鎧を一旦どこかに脱ぎ捨てて、裸の心で葬列に臨んだのだろうか。尾崎が死んだときも、多分同じような光景だったのだろう。 若者は心にカリスマを住まわせることで、心のバランスを微妙にコントロールしているのか。そのカリスマの死は、実在の無い形になることで、より強固な力を持って若者の心の中で蘇り、生き続ける。そんなことを思ってもみる。

今、私にとってのカリスマとは何だろう。それを宿していないことこそ、私自身の弱さなのかも知れない。


Patina (22/Apr/98)

Patina「パティーナ」 なんとなく地中海の音がする。Patioの"Pati"と同じ語源なのだろうかとも思う。辞書を引いてみると、[1]緑青 [2](使い込まれた器具の表面の)つや,古色 [3]表面を薄く美しくおおう物;(表面につけられた)風格,品位 (プログレッシブ英和中辞典/小学館)と訳されている。この言葉を友人のすのーべるさんから聞いたのは最近のことだった。彼も新しい言葉として、その語感と共に印象深く覚えたのだという。 彼の家業はハンガーを中心とする木工製品のメーカーであり、自身も木に対する深い思い入れを持っている。それは彼の邸宅を訪ねることで正しく理解されるが、なかなか庶民の財力では叶わぬ夢の住まいではある。

彼が木に対して語るときの主題はパティーナという単語が端的に表わしている。つまり木の構造物は、使い込まれるほどにその色に深みを増しながら、時間とともに美しさに磨きを掛け続けるのである。古い家具の人の手が触る部分の表情、 それがパティーナである。工業材料で作られたもの、それは手にした時が100%の美しさ。木で作られたもの、それは時間と共に100%から更にプラスの方向へと美しさと価値観を増す。

日本の古い民家の美しさ、それはパティーナの美しさである。


Wonder Bra (09/Apr/98)

「見て見て」と妻たじまが私の目の前で胸を張ってみせた。なんだか別人のように胸のシルエットが美しく、しばしうっとりと見とれてしまった。  「ワンダーブラよ、ワンダーブラ!」 「なんじゃそりゃ?」
ランジェリーの世界は男の私にとっては別世界の出来事であり、女性が身に付ける下着というものの「部分を保護する」という男女共通の役目以外のことは理解できない。 ワンダーブラというのは、CMのキャッチで言えば「寄せて上げる」モノらしい。妻たじまの貧弱な(失礼)胸を実に魅力的な膨らみと形に仕上げるこの新兵器は、すでに多くの女性の支持を得ているという。

このことをきっかけに、妻たじまとの会話はしばらく女性下着に巡った。ガードルで腰を締め上げ、下がった尻を持ち上げ、さらにはヒップラインを矯正するためのヒップパッドもあるそうな。 すなわち、街で見掛ける「ナイスバデー」な女性のシルエットは、多分にこれらの矯正道具によって維持されていることを改めて意識するのであった。まあ、この歳になるともうそんなことはどうでも良いと思ってしまうが、 それでも女性のシルエットの美しさは魅惑的であることには変わりない。考えてみると、このような矯正をせずとも十分に美しくいられる女性は少ないのだろうし、それを維持できる期間も短いものであろう。 いつまでも美しくありたいと願う女性の気持ちが、化粧であり下着なのだろうけど、本当の美しさとはそんなものだろうかとふと考えてしまう。私の価値観からすれば、めったに化粧をしない妻たじまの素顔の方がよほど美しいと思う。 ワンダーブラのシルエットには幻惑されたが、まあ、その胸の奥にあるモノだけはいつまでもマヤカシでないことを願う。

今朝の朝日新聞一面に、モスクワの記事と街中の看板の写真があった。女性の赤いセーターが胸の上までほどけ、形のよい胸が下着に包まれている絵であった。 看板の片隅にWonder Braという英語の商品名が書いてあるのを私は見逃さなかった。


東京出銭乱怒で見たもの (03/Apr/98)

3月30日(月)〜31日(火)の一泊二日で、我が家の5人と実家の両親を合わせた7名で東京ディズニーランドに出かけた。娘の小学校卒業のお祝いに連れていってやろうかと、ふと漏らした小さな一言を家族は見逃さなかった。 出不精な私も妻たじまの牽引力に導かれるまま、旅の人となった。春休みの遊園地は大変な人出で、人気アトラクションの前には長蛇の列。絶叫マシン系は当然ながらパス。一日目は空いているアトラクションを選んで幾つか楽しんだ。 夜7時30分から始まった電飾パレードは何度見ても楽しいものである。電飾の下に自動車が隠れていることや、それを運転するドライバーが居ることを感じさせない。まさに、おとぎの国のパレードである。夢の中の出来事のように、 煌びやかな世界が目の前を次から次に通り過ぎて行った。

遊園地の裏に並ぶオフィシャルホテルの一つに宿をとったが、徒歩30分の帰路を父と息子二人とで歩いた。夜の周回舗道には人影もなく、遊園地の裏手には巨大な企業の舞台裏を見た。大きなオフィスの建物、広大な従業員専用駐車場、 一体何百人の人がここで働いているのだろう。園内で働くスタッフの姿は、いつもにこやかでやさしい。子供達や大人達の一瞬の夢を壊さない最大限の努力を、よく訓練されたスタッフ達は惜しみなく続けていた。園内での高い料金は、 スタッフのサービスに対する対価であると思えば納得もできよう。客を満足させるサービスは、特に外資系の企業に多く見つけることが出来る。マクドナルドやデニーズなどに入っても、スタッフが明るく迎えてくれて嬉しい。 日本人の「侘び」とか「寂び」とか、そんなおくゆかしさや湿り気の無いドライなスタッフの姿がある。それを演じているのが日本人であるのだから、日本生まれのサービス業にだって外資系に負けないサービスが出来ようと思う。 それを阻止するものは何であろうか。やはり永々と受け継がれたヤマト文化の純血であろうか。


日本人という病 (28/Mar/98)

3月27日の朝日新聞朝刊に(といっても田舎では夕刊は無いのだが)、河合隼雄さんのコラムが掲載されていた。大学時代より河合先生を師と仰ぐ妻がこの記事を絶賛した。長くはない文章の中に重要なメッセージが端的に語ってあり、私もこれを読んで感銘を受けた。

心の病をケアする人(治療者という言葉を使ってあったが)は、自分も患者であるという意識に立つことが肝心であると書いてあった。体の傷を治す治療者であっても、物理的治療を行なう部分を除けば患者の意識で持って被治療者と同レベルで、 相手の精神面を見つめなければならないのだと思う。医者とは、なんと大変な仕事かと思う。

「日本人という病」を、河合先生自身、生まれながらにして負っているのだと言う。かつて「甘えの構造」という名著のタイトルが、日本人の特質を表わす代名詞のようになった時期があった。そもそも「甘え」という日本語は英語には訳せない。 しかし「甘え」には病んでいるという意味は汲み取れない。河合先生は「日本人」という病名を使って、病んだこの国民の心を表現した。翻って考えてみると、「アメリカ人という病」もあるだろうし、「ロシア人という病」もあろう。 つまるところ「人間という病」に行き着くのだろう。とすれば、人は生まれながらにして罪人であるというキリスト教の教えにも、本質的な部分で繋がってゆくのであろうか。

突き詰めて考えると「人」とはなんと難解な生き物なんだろうと思ってしまう。だから心理学や哲学が生まれ、宗教が育つのであろうが。


Dana (27/Mar/98)

RimArtsという(個人)会社の作ったDanaというWin95用テキストエディタが気に入って使っている。(世界的に?)有名なインターネットメーラーRebecca(Becky!)と同じ作者による作品である。 この作者のユーザーインターフェースに対する考え方が好きだ。ウィンドウ内のアイコンデザインもお洒落だし、痒いところに手が届くといったインターフェースは、書くことが好きな私などにとってはとても嬉しい。書くという行為は思考を文字に落とすことであるが、 この過程でエディタという物書き道具のインターフェースが煩雑であったとしたら、思考から文字へのシームレスであるべき移行作業が途切れ途切れになってしまうのだ。本来の思考過程に、エディタを使うための余計な思考作業が介在するのは御免である。

最新バージョンのVer1.11では、さらにその優れたユーザーインターフェースが洗練されたように感じる。今では通信アプリあるいはブラウザアプリの中にエディタがバインドされているものが多いが、いずれも使いやすいものとは言えない。 唯一、Becky!だけはDanaのサブセットがバインドされているので、読むだけでなく、書く方にも満足して使わせてもらっている。実は、Danaの存在を知ったのはBecky!を使い始めてからのことである。Becky!が素晴らしいアプリであったことで、同じ作者の作ったエディタ に期待してダウンロードしてみたのだが、その期待を裏切らない素晴らしいものであった。

今は特にHTMLエディタとして大活躍してくれているが、タグのアトリビュートを右クリックだけで設定できるインターフェースは手放せない。Danaが無ければ、これほどホームページ作りに熱中できなかったのではないか。そう思わせるほどの魅力を、このエディタは持っている。 一度Danaを使ってみることをお勧めする。きっと手放せなくなるだろう。


Visual Basic (26/Mar/98)

4月より職場に新入社員が増えることに伴い、部内の人事管理ソフトの手直しを行なった。Win3.1時代にVisual Basic Ver2.0 (VB)で私が作ったものであるが、久しく触らないうちにすっかり忘れてしまった。

新しい95マシンに変わってからは、VBのインストールすらもしていなかった。すでにVB依存型のアプリが入っていたりで、systemフォルダーには新しいカスタムコントロールが入っていた。インストール時はこれを上書きしないように行われたが、 古いプログラムはsystemのカスタムコントロールを使うようバインドしてあったので話はややこしい。ソースの手直し後もまともに動いてくれない。ようやくカスタムコントロールのバージョンの違いに気付き、最も古いパーツの寄せ集めで何とか改造がうまく行った。

一度はソフト界から葬り去られたBasic言語であるが、マシンが速くなったお陰で再び日の目を見た。富士通のF-BasicもWin32版となって頑張っているようだ。しかし、今回の古いバージョンのVBソフト開発での戸惑いのようなことは、特にマイクロソフトのアプリでは 日常茶飯事である。インテルとつるんで、ハードウェアにおんぶされた新しい魅力的なアプリを次から次に出してくれるのはよいけど、一つのものをじっくり骨までしゃぶりたい私のような古典的人間にとっては、ありがた迷惑な話ではある。

プログラム開発は英会話と同じだと感じる。日常的に使い続けていないと、文法も表現も、何もかも忘れてしまう。それにしても、MS−DOSの時代が懐かしい。限られた人にしかDOSプログラミングの醍醐味は味わえなかったにせよ、マシンとの一体感というか、 自分でコイツを動かしているんだという感慨を味わえたものだ。今はどうだろう。プログラマーはまさにコンピュータ(否、マイクロソフト)のシモベに甘んじているのでは無かろうか。


三脚 (24/Mar/98)

日曜日の山から下りたその足で、フィルムの現像に行きつけの写真屋に立ち寄った。大学時代には写真に凝っていて、アルミのカメラバッグにカメラやレンズを詰め込んで、背負子に括り付けて山にも向かった。 やがて写真からも遠ざかり、当時の三脚もとうに失ってしまって、安物の華奢な三脚を時々使う程度になっていた。その三脚もしばらく行方不明のままだ。

自分のホームページに「ろっぽうフィールド日記」というコーナーを作ろうと思い至ってから、写真の興味が再び湧き起こった。ここ8年ほど、前職を退く時に仲間からプレゼントされたキャノンのEOS10を使ってきたのだが、 このカメラには以前のような一眼レフで撮るという楽しみが無かった。シャッターを押すだけのカメラは緊張感も無く、フレームに入る被写体にも興味が湧かなかったのである。

学生時代に使っていたペンタックスKXを取り出し、液漏れしていた電池を交換し、緑青の浮いたボディを磨いてやった。当時は欲しくても買えなかった300mmのズームレンズもこいつのために買ってやった。そして今回、新しい三脚も用意してやった。

軽いのが欲しいなあというと、店員は「これなんか、最高なんですけどね」と、6万何がしの値の付いたフランス製を出してきた。「これ、カーボンなんですよ」、なるほど、驚くほど軽いし、そのわりにはしっかり固定できる。センターポールにフックが下がっており、 「軽いんで、ここに重りを下げて使うんですよ」と店員。結局、持ち歩く重さは同じじゃないかと、なんとなく騙された気持ちになった。

結局スリックの定価1.9万円ほどの三脚を買ったが、ブラックボディのメカニックな構造をしていて気に入った。嬉しくて、家に帰ってから庭のヤマザクラをこの三脚を使って何枚も撮った。

店員が良いことを教えてくれた。三脚は雲台の重量が馬鹿にならない。山などに出掛けるときは標準の雲台を外し、軽い自由雲台に代えれば良いという。持っている一脚の雲台がこれだ。山に持ち込むときは、一脚の雲台に取り替えて持って行こう。


ザゼンソウ (24/Mar/98)

この前の日曜日、今年初めての山歩きに出掛けた。紀行文はこちらを見てもらうことにして、私はザゼンソウには特別の思い入れがあるようだ。

ザゼンソウをご存知ない方は先のリンクをクリックして写真を参照して欲しい。まあ、あんな感じの草である。ミズバショウの仲間であるが、一回りほど大きな法炎苞(ガクみたいなもの)を従えている。

ザゼンソウに出会ったのは高校時代のことであったが、その神秘的な姿にはひどく感動した。ミズバショウのような清々しさではなく、なにか生臭い人の匂いのようなもの、あるいは少しエロティックな妄想を青少年であった私は感じていた。

四半世紀以上経った今でも、同じ場所にザゼンソウが咲いているのが嬉しい。町の風景は変わって行っても、変わらないものがまだこの地にはある。