ブナに抱かれた小町の里/丹後・高山豊岡は霧の町である。遅く起きた窓からは、ようやく消えかかろうとする朝 霧を透して、白い太陽が南東の空にぼんやりと光っているのが見えた。ぐず ぐずしている内に霧は晴れて、雲一つない青空が広がった。予定していた扇 ノ山に向かうには遅すぎた。このところすっかり私の愛読書となった山渓の 「京都府の山」をめくり、依遅ヶ尾山にするか高山にするか少し迷った。今 年のブナの様子を確かめたかったこともあり、ブナ林が残されているらしい 高山に向かうことに決めた。母たじまを誘って出発したのが11時半前。 いつもながらのスロースタートとなった。 国道312号を東に向かい、一路丹後大宮を目指す。比治山峠を超えると右 に磯砂山を望み、母たじまに山の様子などを聞かせる。車内はいつものよう にこたじまたちの喧騒でまったく騒々しい。郊外型のショップが立ち並ぶ峰 山のバイパスを抜け、やがて右に丹後大宮駅を示す交差点で左折。初めて通 る地道に不安を感じながらも、峠を一つ越え、やがて延利(のぶとし)の丁 字路にぶつかる。左折してすぐに右に「ブナハウス内山」の道標を見つける。 小野小町の文字や手打ちそばの幟もあり、行き先に確信を持つ。 狭い水田はすっかり稲刈りも終り、豆の収穫に精を出す人 たちとアカネが群れ飛ぶ秋の農村の風景があった。五十河 (いかが)の村の入り口で忽然と大きな建物が目に入った。 小野小町の資料館らしく、帰りに立ち寄ることにする。こ の村は古い屋敷が多い。瓦屋根が少なく、かつての茅葺き 屋根をトタンで葺き直した家屋がほとんどだ。村外れに一 軒、茅葺き屋根のままの民家があって、今では昔話の挿し 絵でしかお目に掛かれない懐かしい風景に、心も暖まるような気がした。 村を抜けると山道となり、舗装はしてあるものの、車一台がやっとの心細い 道を登ってゆく。高度を上げるほどに、真っ青な空に映える紅葉が見事であ る。舗装が途切れ、車を走らせるのが申し訳なく思う頃、ブナハウス内山に 到着。山里にハウスの横文字は似つかわしくないが、まだ新しい無人の休憩 施設は綺麗なトイレもあって登山の基地としては助かる。すでに5台ばかり の車が止めてあり、この山の人気ぶりもうかがえた。すでに12時半を過ぎ、 ここでお昼にしてから登ろうという母たじまに、せっかくだから展望の良い ところでと歩きだした。結局、弁当は山頂までお預けとなってしまうのだが。 歩きはじめてすぐに、内山集落跡とそれを教える石碑に出くわす。最後の住 人の名前と、昭和46年4月6日離村とあった。離村という二文字が、妙に悲し く頭の中で響いた。軽トラが止めてあり、当時の村人であろうか、初老の男 性が赤く熟した柿をもいでいるのが見えた。石碑の場所は分岐点でもあり、 右に東谷ブナ林、左に駒倉峠への道を分かつ。ガイドブックのコースに従い、 駒倉峠へと向かう。ブナハウスの中に掲示してあった「熊注意」の看板がこ こにもあり、少しばかり緊張する。左に巻いて上がる山道から集落跡を見下 ろせば、針葉樹の林の中に石の鳥居が建っていた。ブナの森に生きた杣師の 村であったことは、この後のブナ林に入ってみてよく理解できた。 集落跡から駒倉峠へは広い一本道であった。木漏れ日と紅 葉の美しさに目を奪われながら20分あまりで到着。峠の 向こうは宮津市である。ここから右の尾根に取付く。鎖が 垂れる急勾配を一気に登って、あとはのんびり尾根歩き。 ブナの白い肌が、尾根道を明るく照らす。今年のブナの葉 は美しく色をつけていた。その代わりに、実は全くといっ てよいくらいに落ちていなかった。落ちているのは昨年の 古い殻ばかりであった。昨年のブナの森はどこもかしこも大豊作であった。 熊の噂もあまり聞かなかった。今年は方々で熊の話が出る。ブナの実の豊凶 は、確実に森の動物達の行動に影響を与えているようだ。 ブナのプロムナードに導かれ、高山山頂。ブナハウスから 50分の行程である。702mの標高は丹後半島最高峰の 触れ込み。とすれば、先週登った大江山千丈ヶ岳(833m)は 丹後半島に属さないのだろうか。どうも大江山は丹後より 丹波の山としての存在感が大きいようだ。高山山頂は北を 除いて展望は無い。青い水平線が大きな弧を描いて空と分 け合っている。右から左に太鼓山、依遅ヶ尾山、金剛童子 山のピークが際立ってよく見える。山頂で遅い弁当を広げる。我々の後に一 組のパーティが訪れた他は、まったく静かな山頂であった。先程の登りで1 0人ほどの賑やか中年グループとすれ違ったが、その後下山まで会う人もな かった。 下山時、頂上手前の分岐を浅谷ブナ林方面に逸れて、府下 最大と言われるブナを見にゆく。尾根道はブナの大木に囲 まれ、やわらかな黄色の光に包まれていた。道端のところ どころにブナの「あがりこ」が見られる。以前読んだ「ブ ナ林からの贈りもの」という本の中にあった写真と同じ光 景が、まさに目の前にあるのだった。「あがりこ」とは、 ブナの人との長いつきあいが産み出したオブジェである。 ブナの枝が適度な太さに育つたびに、人がそれを木材として切り出し、ブナ はその傷を癒しながらまた新しい枝を伸ばす。長い長いブナと人との歴史が、 すべすべしたブナの白い幹の形をグロテスクなまでに変えてしまった。瘤だ らけのブナの、岩のような姿は痛ましくもあり、むしろ周りのすくっと立っ たブナよりも気高くもあった。肝心の大ブナは、尾根道から少し逸れた急斜 面にへばりつくようにあった。「あがりこ」のブナを見た後では、立派な枝 振りの大ブナもかすんでしまうようであった。実際、さほどの大きさを感じ ないブナではあった。 下りてきた道を分岐まで戻り、元来た尾根を少し下る。す ぐに東谷ブナ林下降点の標識があり、こちらに向かう。一 気に急斜面を下りる道は、登りに使うには結構大変である。 高度を下げるごとにブナから落葉の潅木に林相が変わり、 林の向こうに天橋立の内湾が望めた。ところどころにロー プもある斜面は20分足らずで終り、左に南谷ブナ林を示 す分岐点に飛び出る。右に進路を取り内山集落跡へ向かう。 途中、東谷ブナ林の中心部を通るが、ここのブナ林も見事であった。小さな 沢に水音が聞こえ、竹薮が現れて人の匂いが再びしてくる。石積みがあり、 家屋を失った草地に柿の木だけが今年も赤い実をつけていた。内山集落跡の 分岐に戻り、この日の山歩きも終りを告げた。 帰り道、五十河の小野小町の舎(「やど」と読むのだろう か)という施設に寄ってみた。最近の建物らしく、平屋の 大きな屋根の下には金色の小野小町像が建っていた。中は 資料館らしかったが、200円の入館料を見て入るのを止 めた。駐車場をはさんで民家風の手打ちそば屋があり、1 6時までの営業時間を気にしつつ暖簾をくぐる。地元のお ばちゃん達がのんびりと仕事をしているようで、かなりい らつきながらも名物の蕎麦にありついた。単なるざるそばであるが、「小町 そば」と命名された手打ちの蕎麦はたいそう美味しかった。一杯700円也。 この村は小野小町最期の地なんだそうである。村には小町 の墓があるといい、小町を担ぎ上げての村興しという訳だ。 小野小町がこんな辺鄙な山里まで流れてきた理由も知らな いが、最後に見た風景があのブナ林のもえる紅葉だったと したら、恋多き美しき歌人の最期にはふさわしかったのか も知れない。ふとそんなことを思いながら、西日を受けて 赤々ともえ立つブナ林をもう一度見上げてみた。 【登山日】96年11月4日(月) 【目的地】高山(702m) 【山 域】京都府丹後地方 【コース】ブナハウス内山〜駒倉峠〜高山〜東谷ブナ林〜ブナハウス内山 【天 候】快晴 【メンバー 】たじまもり一族(5名)、母たじま 【マップ】「分県登山ガイド25/京都府の山」(山渓)参照 【タイム】自宅11:10 → ブナハウス内山12:30-35 → 駒倉峠12:52 → 東谷ブナ林分岐13:17 → 高山山頂13:22-14:05 → (大ブナ) → 大ブナ道標14:32 → 南谷ブナ林分岐14:50 → ブナハウス15:06 ○▲▲たじまもり▲▲☆ ↑ページトップへ