蘇武岳稜線、秘密の花園

 天文ドームのあるペンション横の駐車場に5分遅れで着いたときには、一行
 はすでに出発したあとであった。但馬自然保護協会の例会登山の案内をもらっ
 て家族で参加する気持ちになったのは、コースの中で立ち寄る予定になって
 いたカキツバタの自生地のことが頭にあったからだった。以前、林道を車で
 走ったついでに立ち寄った「秘密の花園」は、秋の気配を漂わせてひっそり
 と静まり返っていた。いつか、この花園に咲くカキツバタを見てみたいと思
 い続けていた。
 
 駐車場から山田(やまた)の村を抜け、奥神鍋スキー場のゲレンデ下に出る。
 雪に覆われた見慣れた斜面の面影を重ねながら、左の谷沿いに伸びる林道に
 向かう。スギ林に囲まれた渓流沿いにキャンプ施設のようなものを見つける。
 堰堤を過ぎる頃にはもう息が上がり、半年以上も山歩きをサボっている上に
 普段からろくな運動もしていない自分の体力のなさを感じる。今日は久しぶ
 りの家族そろっての山歩きに加えて、前日に買い求めた新しい登山靴の調子
 を確かめる登山でもあった。二十数年履き続けてきたドタ靴から、軽いゴア
 テックスの靴に換えた。ランニングシューズで有名なメーカの作ったトレッ
 キングシューズが、どれだけの性能のものか今日の歩きが楽しみでもあった。
 靴に付いているブーメランみたいなマークがいかにもミーハー的で、この歳
 になるとなんだかこんなものを身に付けるのも気恥ずかしく思えた。
 
 乾いた林道には、たくさんの靴跡が残っており、先行者がかなりの人数であ
 ることが予想された。追いついたら追いついたで良い。自分たちのペースで
 歩くことだけを考えながら、次第に体が歩くことに慣れてゆくのを感じて行っ
 た。尾根に出るとそこは馬の背のウェーデルンコース。やっと先行の団体の
 姿が見えた。かなり先を60人ほどの団体が一列に歩いていた。こりゃ一緒
 に歩くのは御免被りたい。結局、山頂まで、彼らと行動を共にすることはな
 かった。
 
 両方の谷から夏鳥の声が聞こえた。クロツグミ、オオルリ、ミソサザイ、ホ
 トトギス、カッコウ、ツツドリ、ジュウイチ。高い梢からウグイスの声。肉
 眼でもその姿を確認できた。双眼鏡でつぶさに観察する。なかなか姿を見る
 ことのできない鳥だ。体を震わせながら、大きな声でさえずっている。クロ
 ツグミのさえずりは、一番メロディアスで美しい。外国の映画や音楽のバッ
 クに流れるナイチンゲールの声によく似ている。
 
 ゲレンデの中を行く林道をさらに歩く。最終リフトの乗り場前でまた休憩。
 谷を隔てた斜面に重機が付けた新しいジグザグ道が見える。新しい登山路で
 も付けようとしているのだろうか。はたまた新しいスキーゲレンデができる
 のだろうか。広葉樹林を引き裂いて剥き出しにされた赤土を見て「余計なこ
 とを」と思うのは、おそらく私だけではあるまい。
 
 狭い急斜面は、いつもコブが出来て初心者スキーヤーが難渋する場所だ。林
 道はここで途切れて、この先はゲレンデ歩き。トチの木から左に向かい、谷
 にかかる鉄板と金網の橋をわたる。この上がこのスキー場で最も雪質、斜度
 に恵まれた栃の木ゲレンデと呼ばれるバーンだ。ゲレンデに残されたトチの
 木が、濃い緑の葉を付けている。リフトを右に見ながら、最後の急登を喘ぎ
 ながら行く。リフト小屋の下で林道に出会い、この段階で今回の山登りはほ
 ぼ目的達成。腕時計の高度計は900m台の標高を示していた。あとは蘇武
 岳まで林道をのんびり歩くだけだ。
 
 新しい靴の調子はなかなか良さそうであった。ここまでの歩きで、特に当たっ
 て痛いといったこともなければ、靴ずれの兆候もない。ゴアテックスの靴が
 どのように良いのかはまだ分からないが、そう言われてみれば、靴の中の蒸
 れが前の革靴に比べればマシになったような気もした。ともかくも、皮靴で
 ありながら、非常に軽いのがなによりも良い。歳を取るにつれ、良い道具が
 弱った部分を助けてくれることはありがたいことだ。
 
 林道を南に向かう。眼下には神鍋山の火口が緑の口を開けている。御机山、
 大岡山、北にはアンテナの林立する三川山の別ピークが見渡せる。コーナの
 待避場所では数台の車と様々なアンテナが並んで、なにやら無線関係のこと
 をやっているらしい。近くで携帯発電機が人工的な音をたて続けていた。山
 肌に沿って大きなカーブを何本か過ぎ、秘密の花園の入り口に着く。3台の
 車が止まっていて、この奥に何かがあることは直ぐに分かるが、入り口には
 それと分かる看板は何一つ無い。知る人のみぞ知る、まさに秘密の花園では
 ある。
 
 その場所へは、林道を逸れて5分もかからずに到達する。林道を行き来する
 車の人が、普段着で容易にアプローチできる場所だけに、保護を願う地元の
 人たちはここを公表したがらないのだろう。当日も、初老のご夫婦が湿地の
 入り口に簡素な雨除けを張って番をされていた。今TVロケの最中であり、
 大きな声を出さないようにと注意を受ける。湿地に入ると、なるほど、一等
 地でTV関係者がカメラを回している。レフ版を持った人や、アシスタント
 などが声を押し殺して作業中であった。超うるさいこたじま3人に、この時
 ばかりと大声を出すように仕向けたかったが、理性がそれを押しとどめたの
 は残念だった。カメラに近づかない位置から、湿地に咲き乱れる見事な自生
 のカキツバタを観察することができた。新緑の中にぽっかり開いた空間の中
 に、高貴な紫の花が凛として佇んでいた。
 
 帰りすがら、先ほどの男性から得た情報では、今度の週末あたりに満開にな
 るだろうということと、ロケの映像は6月28日の午前10時30分より、
 毎日放送で放映されるということであった。映像からはみ出たの左端には、
 声を殺したこたじまたちが立っていたことを思い出しながら、この時の模様
 をTVで見てみよう。放映日を記憶にとどめながら秘密の花園を後にした。
 周囲のブナ林でコマドリがひとしきり大きくさえずった。
 
 山頂までの林道歩きは長い。自分でも時々ここを走るくせに、すれ違う車や
 バイクに出会うと腹立たしく思う。右手には氷ノ山、鉢伏山、その向こうに
 は扇ノ山が青く霞んでみえる。林道から左の法面を見上げると、若いブナの
 木肌が白く輝き、それに映える緑の若葉は一層引き立って見えた。その中を
 アサギマダラが森の妖精のようにフワフワと飛んだ。路肩の大きなブナの木
 をファインダ越しに覗いていて、キツツキがあけた穴を見つけた。さっそく
 こたじまたちに教えてやり、みんなで観察する。3つの穴が縦に並んでいて、
 一番下の穴はつい最近あけられたようで、新鮮な木の色で縁取られていた。
 どの穴も、道具を使ってあけたように正確な円筒形をしていて関心させられ
 た。しばらく観察していたが、家主も家族も姿を見ることはできなかった。
 
 ヘの字状に西に張り出した蘇武岳の稜線は、かなり前から見え隠れしていた
 が、なかなかその距離が縮まらない。林道歩きにウンザリする頃、ようやく
 山頂への取り付きに到着。ここから山頂まで5分あまり。我々が5分コース
 と呼ぶ、車を使った超お手軽蘇武岳登山が果たせる場所である。こたじまた
 ちは直下の急登を駆け上がり、我々夫婦は疲れた足を引きずるようにしてた
 どり着いた。ここでようやく団体に追いついたが、まあ、居るは居るはのオー
 ル熟年メンバー。(^^;  とくにおばちゃん同士のかしましいことといったら
 ない。機関銃のようにあちこちから大声が聞こえてくる。60人の蘇武岳山
 頂は、いつもの静けさとは無縁の人の山となった。
 
 おにぎりとカップ麺の昼食を終える頃、麓でお昼のサイレンが鳴った。曇り
 模様の空で展望には恵まれず、所作なくゴロゴロと寝そべって時間を過ごす。
 こたじまたちは、例のごとく草の上を転げまわってきたらしく、服を汚して
 妻たじまから叱責を受けていた。子供たちのこのエネルギーが羨ましい。
 12時30分、一行が出発。それにあわせて我々も腰を上げる。来た道を引
 き返すという一行と別れ、我々は名色への下山道に向かった。
 
 ブナの道は何度歩いても気持ちの良いものだ。下草のチシマザサの薮には大
 きくなり過ぎたすずのこが見える。それでも何とか食べられそうなやつを2
 本、お土産に頂いて夕食を賑やかにしてくれた。道端のあちこちにギンリョ
 ウソウの白い蝋細工のような姿が見られた。ヤマボウシの白も、緑に映えて
 美しかった。しばらく歩いたところで右ひざの筋が痛くなり、急な下りでは
 真っ直ぐ下りることが出来ないほどになった。この右ひざの痛みは、近年に
 なってとみに目立って出るようになった症状であるが、やはり普段足を鍛え
 ていない証拠であろう。
 
 林道に出てからは、もくもくと麓に向かって歩く。時々、パラグライダーの
 人たちを乗せたワゴン車が上がって来ては道を譲った。道端に一本のササユ
 リを見つけた。歩くものだけに与えられた小さなプレゼントだ。薄紅色の一
 輪の花が、日陰の中で妙になまめかしく見えた。
 
 林道の出口はキャベツ畑の前であった。畑一杯のキャベツに、農家の青年が
 消毒を撒いていた。雨がパラパラと落ちてきたが、本格的な降りには至らな
 かった。名色ゲレンデに色とりどりのパラグライダーが静かに降下して来る
 のを見ながら、スキー場の駐車場まで歩く。ここから先、こたじま/YUUを従
 えて、車のデポ地の山田までアスファルトを歩く。プラス30分の道のりは、
 疲れきった足には相当堪えた。さすがのこたじま/YUUも途中で弱音を吐いて
 いたが、「着いたらジュース」を餌にひたすら歩いた。デポ地では、例の一
 団の解散の挨拶がちょうど始まったところで、ほぼ同じ時間をかけて下山し
 てきたことを知った。
 
 久しぶりの登山は、6時間の歩行を伴う我が家にしてはヘビー級の行程であっ
 たが、みんなよく歩いた。家に帰ると右膝が曲げ伸ばしできないくらいに痛
 んだが、ここちよい疲労感に全身が包まれているのを感じた。さて、次はど
 こを歩こうか。

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      |P                  |名色林道
      |山田        名色   |
 奥神鍋  |          スキー場  \ 
 スキー場_|      _   _   _   \▲蘇武岳(1074m)
       \__/ \_/ \_/ \_/ \____至妙見山
        妙見・蘇武林道


 【 登山日 】97年 6月15日(日)
 【 目的地 】蘇武岳(1074m)
 【 山 域 】兵庫県但馬地方
 【 コース 】奥神鍋スキー場〜山頂〜名色
 【 天 候 】曇り
 【メンバー】妻たじま、こたじま/KAO,YUU,GEN、たじまもり
 【 マップ 】エアリアマップ「氷ノ山」参照
 【 タイム 】自宅7:50 → 山田P8:20 → 蘇武林道出合9:50 → 蘇武岳11:15
       -12:30 → 名色林道出合13:45 → 林道出口15:00 → 山田P15:40

                                                ○▲▲たじまもり▲▲☆

カキツバタ自生地

ブナの枝にキツツキの空けた穴