ブナの絨毯、扇ノ山(彷徨付き)


小ズッコのブナ林


 雨の上がった土曜日の朝、予報によれば急速に天候は回復するようだった。
 今日は単独で扇ノ山に向う。八鹿のコンビニで食料を仕入れる。小さな缶ビ
 ールも一本付けた。ホテルの送迎バスと、礼服の人々の前を過ぎる。結婚式。
 休耕田を埋め尽くすコスモスの花が揺れた。

 氷ノ山山頂は雲に隠れて見えない。関宮町では、明日の氷ノ山紅葉登山大会
 の立て看板。いっそ、静かに歩ける今日、氷ノ山に向うか。関神社前の交差
 点で少しだけ迷って、そのまま9号線を直進した。

 温泉町を抜け、岸田川沿いに走り始めたところで、国道沿いに新しいマーケッ
 トが出来ているのに気付く。トイレも表にあって、今後の買い出しや休憩に
 便利だ。前をゆくトラックは九州のナンバープレート。下関と京都を繋ぐ国
 道9号線は、九州物流の主要幹線になっていることを、最近になって知って
 意外に思った。
 
 海上林道から上山高原へ。高原の駐車場に3台の車が居て、1台が私の前に
 入り込んで先行した。神戸ナンバー。5人の乗車だ。後ろから2台が付いて
 くる。嫌な予感は的中。小ズッコ小屋下から入る登山者だった。10名近く
 の賑やかな団体が出発の準備をする間に、そそくさと登山口を離れた。
小ズッコ小屋下の登山口
小ズッコ小屋下の登山口
登山口の道標
登山口の道標
 紅葉は進んでいたが、盛りには少し早いといった感じだ。小ズッコ小屋を過  ぎ黙々と進む。すぐに河合谷登山口からの中国自然歩道と合流。県境尾根を  南下して、扇ノ山山頂を目指す。    小ズッコのブナ林は、黄緑色と黄色のグラデーション。林床はブナの落ち葉  が重なって、登山路は赤い絨毯を敷き詰めたようだ。雨上がりの落ち葉が深  紅の度合いを増して、それをサクサクと登山靴で蹴散らして歩くのが気持ち  よい。単独の年配の男性を追い越す。    追い越してからは、後方からの足音が気になる。少しでも距離をあけようと、  ついオーバーペースで歩いてしまう。途中で時々写真を撮るほかは、休憩も  とらずに歩き続けた。後方の登山者も気になったが、ともかく早く山頂に着  きたいという気持ちだった。大ズッコを下った鞍部で4人組のパーティを追  い越す。  11時12分、扇ノ山山頂着。1310mの山頂周辺は、まだ雲の中だった。南に聳  えているはずの氷ノ山もまったく見えない。頂上直下まで迫った南稜のブナ  が、濃く色づいている。山頂は私一人だった。本日の一番乗りのようだ。  冷えてきたのでフリースを着込み、ガスストーブに火をつける。コンビニオ  ニギリをパク付きながら、お湯の沸くのを待つ。沸騰したお湯でカップ味噌  汁を作る。熱い味噌汁が美味しい。    小ズッコで追い越した男性が、離れたベンチで同じように昼食を始めた。時  折立ち上がって氷ノ山方面を望むが、雲はなかなか晴れない。南から初老の  男女が上がってきた。おそらく夫婦だろう。「えらい遠かったのお」と男性  が独り言のように呟いて、山頂で立ち止まることもせずに、私が登ってきた  北稜へと向った。女性が無言のまま、男性に従った。二人にとっては、楽し  むための登山ではないようだった。南のブナ林で、キノコ狩りでもした帰り  だったのだろうか。
一番乗りの山頂
一番乗りの山頂
山頂の道標
山頂の道標
 腹が膨れるころ、次々に登山者が到着した。雲が切れてきたようだが、氷ノ  山の姿はまだ見えないままだった。登山口で出会った関西弁の一団が賑やか  に到着した。低山徘徊派MLのあきゆきさんに、登頂記念のケータイメール  を飛ばした後、山頂を後にする。先ほどの単独の男性が、私より先に下って  行くのが見えたが、その後会うことは無かった。  鳥取市内を見下ろす展望所で、ようやく雲が切れた。双眼鏡で、白くぼやけ  た鳥取市内を眺めてみる。携帯電話にメールの着信があった。今日は出勤の、  あきゆきさんからだった。そのまま自宅の妻たじまに電話を入れる。今日の  扇ノ山に一緒に行きたがっていた彼女に、山の色や空気までは送れないのが  残念だった。アトリの群が、白い空を横切って飛ぶのが見えた。    大ズッコを越え、再び小ズッコブナ林の核心部を歩く。午前中の登りで、ビー  ルは帰りの小ズッコでと決めていた。登山路から少し逸れた適当な場所を見  つけて、缶ビールをあける。ブナの古木に乾杯だ。日が射して、黄色の木漏  れ日がサラサラと揺れた。積み重なったブナの落ち葉をかきわけてみたが、  ブナの実は落ちていなかった。
濡れ落ち葉
濡れ落ち葉
大ズッコのブナ林
大ズッコのブナ林
 登山口まで、ゆっくりと下りてきた。誰にも会わずに、静かに歩いてきた。  途中、近くの枝でカラが鳴いた。双眼鏡を覗けば、ヒガラが不思議そうに首  をかしげていた。ヒガラが飛び去った後も、しばらくじっとしていると、薮  の中でガサガサと獣のうごめく気配がした。  車まで戻って帰り支度をしながら、今日は寄り道をすることに決めた。海上  林道を途中まで下ったところで、シワガラの滝への入口を示す道標がある。  車一台のスペースに路肩駐車し、再び登山靴に履き替えた。初めての道。地  図も持っていないが、何とか行けるだろう。しっかりした道が沢をまたぎ、  桂の滝への分岐点である峠を越え、小さな農耕地へと続いていた。    農作業小屋があり、人の気配が残されている。しかし、シワガラの滝への道  案内はまったく無い。しばらく農地のまわりを歩いてみたが、台地状の農地  から下へ向う明瞭な道が見つからない。先ほど下りてきた峠からの道の延長  上に、山際に沿って用水路が続いており、その側道には踏み跡が残っていた。  ただし、動物除けのものだろうか、トタン板でバリアがしてあり、人が奥へ  進むことをも阻んでいるようだった。
林道脇の入口
林道脇の入口
農作業小屋越しの風景
農作業小屋越しの風景
 しかし、ここでの道らしきものは、この用水路の側道の他は見つけられない。  バリアを乗り越えて進んでみることにした。山の襞を巻いて、うねうねと用  水路が奥に延びており、透明な水の中に黒いイモリが何匹も居た。急斜面に  掘られた用水路は、やがて小さな杉の崩落場所にぶち当たって消失していた。  この先、道が延びているのかどうか分からなかったが、憑かれたように崩落  した杉の下をくぐり、やがて、谷に向って急斜面をズリ落ちている自分が居  た。道ではなかった。道のように見えて進んでいたのは、獣道だった。    谷に回り込んで、今居る斜面から下に向うことも可能のように思われた。獣  が歩いた跡が、あちこちに残っていた。はるか下の方で力強い渓流の水音が  聞こえていた。ふいに恐怖感に襲われ、我に返った。自分は何をしていたの  だろう。地図も持たず、獣道に迷い込んでどうなると思っていたのだろうか。  焦った。歩いて来た道を丁寧に戻り、急斜面をよじ登った。杉の崩落現場ま  で戻った。ここから左に向えば、すぐに用水路に出るはずだ。しかし、倒れ  た杉の暗いトンネルはいつまでも続き、ようやく抜けたところで自分の位置  が確認できた。なんと、用水路がかなり下の方に見えている。ずいぶん目測  を誤って、斜面を登りすぎたらしい。人の判断力のいい加減さがよく分かっ  た。
彷徨の後で
彷徨の後で
海上の棚田
海上の棚田
 結局シワガラの滝への道は見つけられずに車に戻った。大きな疲労感が体と  心に残っていた。気付かないうちに、手足にたくさんの擦り傷が出来ていた。  帰宅後、ガイドブックで確かめたが、あの農作業小屋の下に谷に向う道があ  るのだという。秋季の歩行では、熊に注意せよとも書いてあった。私がさま  よった獣道は、きっと熊も歩いたのだろうか。  帰り道、疲れた体をほぐそうと、久しぶりに村岡温泉に立ち寄った。9号線  からすぐの350円の温泉は、相変わらず石鹸もシャンプーも自前で持ち込  みの銭湯風。カウンターで70円の石鹸を買って入った。ゆったりと湯船に  浸かりながら、色づきはじめた里の山風景をガラス越しに眺めた。先ほど付  けた手足の傷がしみた。  【 登山日 】2000年10月21日(土)  【 目的地 】扇ノ山(1310m)  【 山 域 】因但国境  【 コース 】小ズッコ小屋から山頂ピストン  【 天 候 】曇り  【メンバー】たじまもり単独  【 マップ 】エアリアマップ59「氷ノ山」  【 タイム 】自宅8:20…小ズッコ登山口(1040m)10:11-10:16…        中国自然歩道合流10:28…大ズッコピーク10:55…山頂11:12-12:00        大ズッコピーク12:30…小ズッコ登山口13:27        シワガラの滝道標13:40…(往復)…14:35