我が家にとっては久しぶりの登山であった。とは言っても、この春中学に上
がったこたじま/KAOは、部活があるからと言って朝早く家を出ていった。
こうして、今までみたいに家族全員で山を歩くことも少なくなって行くのか
と、少しばかり残念で寂しい気持ちである。国道178号線を西に向かい、
土生(はぶ)の峠を下りきった下岡から三川の谷を詰める。回復に向かうと
いうお天気ダイヤルのアナウンスとは裏腹に、見上げる三川山には雲が垂れ
込め、フロントグラスにはポツポツと雨粒が落ちた。
谷のどん詰まりに三川権現の古い社があり、5月3日の年一度の例祭には沢
山の人で賑わう。今日は一台の車もなく、境内はひっそりと静まり返ってい
た。4年前、カタクリの花を見るために訪れて以来、この山とはずいぶん疎
遠になっていた。私にとっては一番思い入れの深い山であるが、だからこそ
近づきがたい山でもあるのだろうか。前回の訪問時には工事中であった神社
周辺はすっかり整備されていて、夏には子供達の水遊びも出来るように河川
の護岸工事も出来上がっていた。
公園の一画には、山から採取してきたと思われるシャクナゲの築山が奇麗に
花を付けていた。その横を通りすぎればいつもの登山道。大きな砂防ダムに
ぶち当たりコンクリート階段を上ってこれを越える。山のへりを少し歩き、
橋の無い沢を危なっかしく跨いで登山道は続く。二つの沢音が右と左から聞
こえ、ミソサザイとオオルリの美しい囀りが心を和ませてくれる。「シャク
ナゲコース A」と書かれた新しい標識が現れ、左の尾根に取り付く。ここ
から15分、急勾配の岩尾根を辿ることになるが、花期に登ればシャクナゲ
の花が励ましてくれる。今年の山の春は早く、この尾根の花はすべて終わっ
ていたのが残念だった。
相変わらずミソサザイとオオルリが歌い、時折クロツグミの惚れ惚れとする
歌声が混じった。どんより垂れ込めたガスの中からは、アオゲラの呑気な声
が響いた。尾根を上り詰めたところに、かろうじて花を残したシャクナゲを
見つけたが写真に撮るほどのものでもなかった。トラバース道をしばらく行
く。チゴユリが目に付くが、ひょっとしたら未だ咲いているかもしれないと
思ったカタクリの花はどこにも見当たらなかった。こたじま達が大声で「ヤ
ッホー!」とやっている。我々の他に山に入っている人など居ないはずであ
ったが、思わずオッサン声のこだまが返ってきた。すぐに3人グループの下
山組と出会ったが、彼らはナタやトラロープを携えており、登山道の整備に
あたっていたものと想像した。このコースは5月連休に行われる恒例の「但
馬中央山脈縦走大会」の下山路にあたっている。
登山道脇の群棲地でも、花弁を落とした僅かばかりのカタクリの株を見掛け
ただけでガッカリした。4年前に比べ、ずいぶん株数が減ったように感じた
が、心無い乱獲によるものなのなのだろうか。前日の雨でぬるんだ道をジグ
ザグに登ってゆく。トチの巨木が目立ち、やがてブナが優勢になって行く。
明るい新緑の森は実に清々しい。「焼酎一杯グィー」とセンダイムシクイが
ひょうきんに鳴き、「ポポポポ」とツツドリが伴奏を付けた。ツツドリの声
を聞くと、もう夏の森を感じてしまう。すぐにもカッコウやホトトギス、そ
して私の大好きなアカショウビンの声がこの森に響くことだろう。
山頂まで1000mの標識が現れ、あと40分ほどで山頂に到達する計算を
する。時計は12時を示し、谷からお昼のサイレンが聞こえた。ブナの森に
入ると、いつも安らかな気持ちになれる。ガスに煙る幽玄な世界に、こたじ
ま/YUU&GENが相変わらず騒々しい。ブナの大木の前で記念写真を撮る。この
森のブナも倒木が目立つようになったが、横たわって朽ちゆく幹の上に新し
い植物を育んでいる光景は神々しい。宮崎アニメの世界だよなあと、妻たじ
まと語りながら倒木を越えた。森の中からはキビタキののんびりした声が聞
こえた。
ブナ林を過ぎると狭い谷に吸い込まれるように道は続き、右手の植林に入れ
ば山頂は間近である。やがてアンテナ施設の建物の前に飛び出し、ここにも
Aコースの案内板があった。車の入る道を辿れば林道に合流し、そこが三川
山の山頂であった。NHKや民放の大きな中継アンテナが山頂を占拠してい
るが、私にとっての三川山は山頂などどうでも良いのであった。この山を包
む森が好きなのである。特にブナ林は私が死んだときの散骨の場所として家
族に言い渡してある、私にとっての聖地なのである。
「墓は要らんから、三川山のブナ林に骨を撒いてくれよな」
私の口癖の一つである。
巻寿司とカップラーメンの昼食を済ませ、無展望の山頂を後にする。晴れた
日であったとしても、かつては開けていた北側の展望も、今では成長した植
林の杉よって殆ど閉ざされているのである。下山路は山頂から北を向いて左
側の尾根を辿るBコースにとった。こちらは「奥の院コース」と呼ばれ、中
腹の痩せ尾根に、向かいの絶壁に掘られた摩崖仏を拝む、奥の院と呼ばれる
三川権現社の霊場を通る。ちなみにこの摩崖仏は、修験道の役行者が彫った
とされている。
下り始めると、右膝の筋が急激に痛み始めた。すぐに耐え難い痛みとなり、
引きずりながらも足を進めるうちに、何とか耐えられる程度に収まった。杉
の枝を杖代わりにして、右足をかばいながらの下山は楽ではなかった。杉植
林から自然林へ移り変わる樹林帯を抜けると、長い痩尾根の悪路が谷まで続
く。危険個所は少ないが、濡れた急勾配の道にはてこずった。標高700m
あたりの尾根道にシャクナゲが見事な花を付けていた。このあたりは満開と
いった感じで、登りでの残念な思いを一気に取り戻してくれた。
奥の院に辿り着く頃には全員この下山路にウンザリしていたのだが、さらに
同じような下りが1時間近く続くのであった。奥の院の周辺は、この尾根の
特徴の一つであるヒメコマツ(五葉松)の古木が美しい。遥拝所から望む谷
向こうの絶壁の摩崖仏であるが、何度ここを訪れてもその場所が確定できな
い。それらしき穴は双眼鏡で見ることが出来るが、彫られた仏様までは確認
できない。隠れ滝が一筋の白い線となって落ちているのが美しい。おやつ休
憩のあと、最後の下りに向かった。
へとへとになって谷に下り立った時には、妻たじま共々「もう結構、堪忍し
てください」という気持ちになっていた。右膝をかばいながら、何とか下り
きった安堵感が私にはあった。二つの沢が合流する尾根の突端にはBコース
の看板があるが、沢で一部登山路が分断された個所もあり、土地感の無い登
山者には少し不安な取付き部である。キツイ下りの嫌いな登山者は、こち
らを登りに使うのが良いが、かなり厳しいアルバイトとなるのは覚悟したい。
久しぶりの三川山はあいにくの曇り空の中を歩くことになった。それでもブ
ナの森は生きていたし、シャクナゲが見送ってもくれた。家族の誰もが、も
うこの山の下りは嫌だと言って付いて来ないかも知れない。でも、私はこの
山がやっぱり好きであり続けるだろうし、また忘れた頃に登ってもみるだろ
う。そしていつか命を終えるとき、この森の中で静かに眠り続けたいと思っ
ている。
【 登山日 】98年4月26日(日)
【 目的地 】三川山(888m)
【 山 域 】兵庫県但馬山岳
【 コース 】三川権現を起点にAコース〜山頂〜Bコース
【 天 候 】曇り一時小雨
【メンバー】たじまもり,妻たじま,こたじま/YUU&GEN
【 マップ 】エアリアマップ「氷ノ山」
【 タイム 】自宅9:20 → 三川権現P10:35-40 → Aコース分岐10:55 →
痩尾根終点11:10 → 山頂まで1000mの標識12:00 →
三川山山頂12:40-13:15 → 奥の院礼拝所14:15-25 →
Aコース分岐15:12 → 三川権現P15:25
○▲▲たじまもり▲▲☆
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