JRと歩いた但馬富士・三開山家の前を歩き出したのは、11時になろうかという遅い時間だった。重い荷物はす べてJRが持ってくれる。田圃道から堤防道へ。風が心地よい。"Nice breeze!" JRが言う。先程シャワーを浴びたばかりのJRから、清潔な石鹸の匂いがする。 橋のたもとで、顔見知りのおばあちゃんが物珍しそうに我々を見送る。「ハイキン グですけぇなぁ」 基幹集落センタの開け放った窓から、英単語を繰り返す数人の声が聞こえてくる。 どうやら地域住民のための英語教室の最中だ。JRがふざけて、「ジス・イズ・ア ペン」と、日本人の発音を真似る。子供達の通う神美(かみよし)小学校の校舎を 横切る。校庭では村の青年たちが野球の練習に余念が無い。こたじま/yuuが、秘密 基地に案内するという。学校の仲間といつも遊ぶ、秘密の場所なんだそうだ。つま たじまを残し、全員がこたじま/yuuに従う。赤土の崖っぷちを、木の根をつかみな がらしばらく行くと「秘密基地」に到達する。何のことはない防空壕の跡である。 宅地造成などで地形が変わり、この防空壕に近づく道が閉ざされてから、子供達の 秘密基地となったようだ。 秘密基地探検を終え、つまたじまと合流して校舎裏の山道へ向かう。不意に校舎か ら校長が現れ挨拶を交わす。「これから山ですか。大変ですなあ」 校舎を取り巻く遊歩道は「ふれあいの小道」と名付けられている。友と触れあい、 自然と触れあいながら歩こうという願いが込められた道であろう。一登りしたとこ ろで山頂に向かう分岐に出会う。終わりかけのツツジの中をしばらく登ると、高圧 送電線の鉄塔に出る。その先、果樹園を見下ろす道となる。「これはリンゴ?」と JR。「ピーチ」、と教えてやる。三開(みひらき)山の東側は、雑木林と杉植林 の混じり合う変化に乏しい道だ。30分の登りは、山頂の石鳥居を最後に終わる。 それほど広くもない山頂には石碑や地蔵が祀られていて、かつての山城の名残をと どめている。案内板によれば1300年代の築城であったようだ。今はまわりの木 が邪魔をして十分な展望は無いものの、標高201mの独立峰はかつて豊岡から出 石(いずし)にかけての往来を見張るに最適な場所であったに違いない。今は水田 がのどかに広がって見えている。 おにぎりとカップヌードルだけの簡単な昼食を済ませる。キビタキのノンビリした 声に混じって、せわしなくなく囀る鳥の声が聞こえる。双眼鏡で北斜面の杉木立の てっぺんを覗いて、声の主を確定する。メジロである。ウグイス色の羽、胸は黄色 っぽい白、目の回りに白い縁取りの小さな体を精一杯震わせて、縄張りを宣言して いる。ツバメが何度も山頂をかすめて越えて行く。ツバメにとっても、この山は大 きな目印となっているのだろう。 下山は西に向かう。堀切の跡が段々畑のように残されている。一気に下ったところ に左への分岐がある。まっすぐ下りても良いが、この左からの巻道がこの山最大の 魅力を見せてくれるのだ。道は次第に大きな木の森の中へと入ってゆく。古い落葉 広葉樹の折り重なる深い森は、ここが高々標高200mの山であることを忘れさせ てくれる。秋には素晴らしい紅葉が見られる。家を出る時、この山を見上げながら 「これは丘ではないの? 日本では丘と山はどう違うの?」などといっていたJR は、この山の秘密を知って興奮した。「いやー、ほんと凄いよ。近くにこんな素晴 らしいところがあるなんて」 実は、つまたじまもこの道は始めてであった。JR 同様、彼女もこの山の素晴らしさを再認識したようだった。 森に大きな竹が混じり始め、やがてすべてが竹林に変わってゆく様も美しい。多く のアメリカ人は竹林に興味を示す。JRもそうだった。まっすぐ伸びきった青竹の 整列。地面は竹の葉の褐色の絨毯。最も東洋的な風景。わびとさびの世界。私自身、 ブナの森とは違った魅力を綺麗な竹林に感じる。竹林に入るすぐ手前で、木の枝に とまって威嚇しているコクワガタを見つけた。こたじま達は大喜び。一足早い夏の 昆虫に、友達の羨望を得ること間違いなしだ。ちなみに、帰ってから図鑑で調べて みると、この種は成虫で越冬するらしい。この季節のコクワガタは、別段珍しくも 無いということだ。 竹林をグリセードしながら駆け下りると、民家の裏に飛び出てあっけなく山と別れ た。JRの手には山道で拾った2つの錆び付いたジュースの空き缶があった。山道 でゴミを見かけると、「何だ、山にゴミなんかして」と思う。その次に思うことが、 我々日本人とアメリカ人の違いであるように感じる。「俺は、ゴミなんかしない」 と、ゴミを捨てた他人を軽蔑しながら通り過ぎる日本人。「こんな素晴らしい場所 にゴミは似合わない」と、黙ってそれを拾うアメリカ人。アメリカ人に限らず、無 意識のうちに目に付いたゴミを拾って歩く人がいる。故わかたさんも、そのような 一人だったと聞く。国民性といってしまえばそれまでだが、やはりボランティアと いう意識に大きな違いがあるように思う。まあ、捨てる人のモラルの低さが一番の 問題ではあるが、きれいに保とうとする自分たちの気持ちも、もう一歩進めなくて はと、JRの行動を見て思ったものである。 JRはここから三開山のまわりを4分の3周、ランニングして戻るという。我々は ゆっくり歩いて戻るからと、別れた。20分後、住宅地に入ると大汗のJRが向こ うから歩いてきて我々を迎えた。「5分ほど待ったよ」 こたじま達とじゃれ合い ながら家路につくJRは、すっかり我が家の一員であった。またいつか、JRと但 馬の山を歩きたい。こたじまたちがすっかり大人になって、私達夫婦が老人と呼ば れる歳になっていようとも。 待っているよ。また帰ってこい、但馬の森に。 【登山日】95年 6月10日(土) 【目的地】三開山(みひらきさん) 【山 域】兵庫県北部・豊岡市近郊 【コース】神美(かみよし)小学校裏手〜山頂〜木内(きなし)地区 【天 候】晴 【メンバー 】たじまもり一族+J.R.Smith(from USA) 【マップ】無し 【タイム】11時頃−14時頃 ○▲▲たじまもり▲▲☆ ↑ページトップへ