時計の針を気にしながら、鉢伏高原中央駐車場に車を入れた。予定時刻を30
分近く過ぎていた。同行の萬屋正右衛門さんの車が見えたが本人の姿が無い。
怒って一人で登ってしまったかなと思いながら、急いで山支度を整えると、
管理棟の方から彼がこちらに向ってくるのが見えた。不機嫌な様子が無いの
にホッとしながら詫びを入れた。彼も少し到着が遅れたらしく、出掛けにそ
の原因を作った彼の愛犬クラノスケが一緒だった。ゴネ得というやつだ。12
才になるという老犬クラノスケは、柴犬の中間である三河犬の雄。普段から
萬屋さんのよき山行きのパートナーだ。
温厚な性質のクラノスケは、さっそくこたじま達と仲良くなった。キャンプ
場の前を行けば、この時期ならハルゼミだろうか、セミの死骸をアリがせっ
せと処理しているのに出くわした。登山道に入り、荒れた階段道をしばらく
登る。下ってくる何組かの高校生の登山クラブのパーティとすれ違う。萬屋
さんによれば、インターハイのトレーニングだろうとのこと。青少年たちは
すこぶる元気に、最後尾の引率の教師は冴えない表情で挨拶を交わした。
ご苦労なことだ。
もう良いだろうと、萬屋さんがクラノスケをのロープを解いてやる。自由を
得たクラノスケは先頭を切って登ってゆく。一定以上の距離が離れると、立
ち止まって我々の姿を確認してから、また上を目指す。なかなか頼もしいペー
スメーカーだ。南に、僅かな残雪を残した氷ノ山が見え、その手前に張り出
した大平頭の山塊が横たわっている。これから我々の歩く道が、稜線から急
角度で森の中へ消えているのが見通せた。
セミの死骸を処理するアリ
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高原の稜線と鉢伏山
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小代越の稜線に出たところで一服し、爽やかな風を受けながら尾根道を南に
向う。高原の山菜採りの人が小さく見え、カッコウやオオルリの声が響き渡っ
た。小ピークを越えた鞍部から急登が始まる。トレッキングポールのお陰で、
いつもに比べここを登るのも楽だ。振り返れば、鉢伏高原の雄大な風景が広
がって見えた。
草原から樹林帯に入り、いよいよ最後のキツイ登り。ブナと、林床にはチシ
マザサが現れる。ササの間から、さっそくスズノコを見つける。コマドリの
声に励まされながら、息を切らして上り切ったところで分岐を左に入る。案
内板もなく、普段登山者が入り込まない道だが、良い森が残っている。ブナ
の木の下には小さなチゴユリが慎ましやかに咲き、沢沿いに歩けばサンカヨ
ウの白い花が目についた。
ブナの林床にはチゴユリ
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沢にはサンカヨウ
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さて、これからスズノコ採りに向おうとする地点に、突如として現れた巨大
な脱糞跡。その色、繊維質の外観から見して、哺乳類がスズノコだけを採餌
した消化の跡に違いなかった。ツキノワグマの糞だろうか。非常に新鮮な糞
であり、すぐ近くに脱糞の主が居てもおかしくなかった。遭遇はしたくなかっ
たが、我々をどこかで見張っている動物が、きっとツキノワグマであって欲
しかった。
ホードー杉に向って沢沿いを下りながら、スズノコが目に付く度にチシマザ
サの薮に突入。すでに誰かが採った跡もあったが、食べごろのヤツがいたる
ところに顔を出していた。それにしても、我々4人部隊に対し萬屋さんは孤
軍奮闘。クラノスケは主人に付いて薮に入っても、山菜採りの役には立たな
いのが残念であった。萬屋さんも次第に熱が入り、長い時間かけて薮から出
て来たところで名言を吐く。
「薮の中でスズノコ採りをすると、方向を失う前に理性を失いますね」
ツキノワグマ?の糞 |
チシマザサとスズノコ
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ホードー杉の下の沢でランチタイムにする。沢の水を沸かし、こたじま達が
皮を剥いたスズノコを茹でる。用意してきたマヨネーズで、茹でたてのスズ
ノコをアテにビールを飲む。この季節のこの森だけで味わえる最高の贅沢。
さて、先ほどからしきりに餌をねだるクラノスケは、とうとうロープに繋が
れて、こたじま達が熱心にパンの切れ端などを与えた。犬はまとわりつかな
くなったが、大量の蝿が我々を終始取り囲んで閉口した。腹が膨らむと、こ
たじま達とホードー杉見物に。下刈りのされた広場に立っている案内板の記
述を以下に引用しておく。
県指定文化財 ホードー杉
指定年月日 平成3年3月30日
所有者・管理者 大久保地区
スギは普通、植林樹として用いられているが、この木は天然スギで、標高
約1,150mの場所に自生する。樹高18.0m、幹回り11.6m、枝張りは東西18.3m、
南北16.0mにわたり、樹齢約500年を経た大木であるが、樹勢は現在も旺盛で
ある。
幹の中央には過去に火で焼かれた跡があり、木地師のたき火か落雷による
ものと推定される。幹は地上約2mの所から4分岐し、樹高は低いが樹形が全
体的に横に拡がり、風格がある。ホードー杉の呼び名は、この地方の方言で
ある「ホードェー」(特別に大きいの意)という言葉に由来している。
平成3年11月
兵庫県教育委員会
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ホードー杉 |
ブナの森
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ブナの森の恵みに感謝しながら、帰途につく。登山路に合流し急坂を下れば、
久しぶりに左の膝の筋が痛み出した。樹林帯を抜けると、再び鉢伏の大パノ
ラマ。スキー施設としての構造物や、ゲレンデ整備のための伐採の跡などは、
この大きな風景の中ではちっぽけに見える。山の懐は深いと感じる。
クラノスケとこたじま達は、尾根道をどんどん先に行ってしまった。小さく
なる彼らの後ろ姿を稜線上に追う。稜線の左斜面に目を移せば、秋岡の谷か
ら上がって来た新しい林道が、高丸山の直下まで伸びているのが分かった。
林道上の西斜面は広葉樹の植林がされていて、円筒形の鉄のカバーで保護さ
れて規則正しく並んでいた。
鉢伏高原のパノラマ |
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高原は各方面からやってきた小中学生であふれており、それぞれの学校のや
り方で、授業としての自然とのふれあいが行なわれているのであった。
『青少年たちよ。自分の意志と力で森を歩いてみよ。僕たちはツキノワグマ
の糞を見、ブナの水を飲んできたところだ!』
ヤマドリゼンマイの保護区域に、三人連れのオバタリアンの一人が入り込ん
で、山菜を採っているところを通りかかった。天然記念物の立て看板と、鎖
の張ってある中で堂々とだ。萬屋さんが柔らかく注意を促す。聞く耳を持た
ないオバハン。萬屋さんの声が一際大きくなった。「ここは入ったらアカン
のやて」と仲間のオバハンが初めて気付いたように、中のオバハンに呼びか
ける。通り過ぎたあと、萬屋さんが吐き捨てるように言った。
「アンタらはナンボでも滅んでいいけど、ヤマドリゼンマイは滅んだら困る」
本日二度目の萬屋名言を味わいながら、駐車場に辿り着いた。
帰り道、別宮(べっく)の大カツラに立ち寄った。青々と葉を茂らせたヒコ
生えの幹のたもとから、冷たい水がとうとうと流れていた。この水めあての
人達が、次々に水を汲んで帰る。我々もペットボトルに水を一杯つめて、初
夏の鉢高原を後にした。
高原は小中学生の山 |
別宮の大カツラに立ち寄る
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【 登山日 】99年5月22日(土)
【 目的地 】大平頭(氷ノ山山麓)
【 山 域 】但馬
【 コース 】鉢伏高原よりピストン
【 天 候 】晴れ
【メンバー】萬屋正右衛門+クラノスケ,こたじま/YUU&GEN,妻たじま,
たじまもり
【 マップ 】エアリアマップ「氷ノ山」
○▲▲たじまもり▲▲☆
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