木枯らしに舞う錦の蝶/氷ノ山東尾根
 八木川沿いの直線で全但バスを追い越す。バスの前に出ると氷ノ山が一段と大きく  目の前に迫ってくる。天気はさほど悪くはない。いつもは家族の誰かを乗せてのア  プローチなのに、今日は一人谷間(たにあい)の道を飛ばす。福定バス停先の登山  口の道標を確認し、その先を左に下って駐車場に入る。入口には大きな字で有料と  書いてあるが、冬季のスキー客用のもの。アスファルトの広場の真ん中ではモンペ  姿のオバチャンが、収穫した豆を天日に干す作業を続けている。車のハッチに腰掛  け、菓子パンを牛乳で流し込みながら続けられる作業を眺める。目を上げれば正面  に、布滝頭や赤倉山の斜面からなだれ落ちる紅葉が圧倒的な美しさで迫ってくる。  身支度を整え、履き込んだドタ靴の紐を結ぶ。久しぶりに満杯に詰め込んだカリマ  ーのザックを背負い出発。熊避けにと妻が結んでくれた小さな鈴が、チャリン・チ  ャリンと背中で鳴る。何時もなら他人の鈴の音でさえうるさく感じるのに、今日は  何故か心強い。  登山口から一旦八木川の谷底まで下り、川を渡って斜面を登り返す。薄暗い谷沿い  の登りは、随分前に登った頃の記憶を蘇らせてくれる。当時は大幹線林道も氷ノ山  には届いておらず、勿論氷ノ山国際スキー場なども無い時代であった。谷を抜けて  段々畑を辿る道はすっかり様子を変えている。リフトの中継小屋があり、コンクリ  ートで塗り固められた農道が延びている。所々で当時の面影を留める作業小屋など  に出会うと、とても嬉しくなる。  30分歩いて国際スキー場のロッジ横に出る。目の前の東尾根の切り立った壁が、  時折射す陽の光を浴びて、真っ赤に、そして黄金色に輝きを放つ。今回の山行はこ  の景色だけで満足だ。奈良尾キャンプ場の炊飯場で喉を潤す。その先、林道を少し  登った右側に大きな案内板があり、ここから東尾根に取りつく。  無粋な階段道が尾根まで続く。時々植林の杉に覆われたりすると気分は益々悪い。  おまけに下方でブルドーザやチェーンソーの音がして嫌になる。冬を目前に、スキ  ー客の為に最善の設備が整えられているのだろう。嫌な気分が最高潮に達する頃、  ようやく尾根にたどり着く。ここの避難小屋だけは子供の頃から少しも変わってい  ない。利用する気にはとてもなれないが、変わらぬ氷ノ山のシンボルとしては嬉し  い存在である。  小屋横の粗末なベンチで休む。カロリーメイト1ブロックと、少量の水で一息入れ  る。人の気配がして、登山道の行く手を見ると男性二人連れが休んでいる。やがて  二人は私の前を下山して行った。  「これからですか」  「ええ、今日は上で泊まりです」  「そうですか。今日は昼間でも結構寒かったですよ。お気を付けて」  短い会話の後、私も腰を上げる。  植林の一帯を抜けると、後は山頂まで続く自然林だ。東尾根の痩せ尾根は斜度もさ  ほど無く、快適な落ち葉のプロムナード。ブナやミズナラに混じって、カエデやナ  ナカマドがいろどりを添える。時折風が一際大きく尾根を渡る。梢が一斉にざわめ  きたって、色とりどりの葉が宙を舞う。錦の蝶たちの一瞬の飛翔だ。蝶は木枯らし  の空に舞い上がり、やがてヒラヒラと地上に降り立って重なり合う。幾度となく繰  り返しながら、森は急速に静けさを装い始める。  痩せ尾根を離れ、チシマザサが斜面を覆い始める頃、最初の水場に出会う。「一ノ  谷水呑場」の案内板がある。東尾根避難小屋を出て30分、一息入れるのに丁度の  ところだ。水場に近づくと冬鳥の群れが一斉に飛び立つ。普段、この水場は森の動  物達のものだ。鳥や獣たちの社交場。  ここまで登る間にさらに二組のパーティとすれ違ったが、以降山頂まで人に会うこ  とは無かった。登山道に大きく根を広げたブナの木や、朽ちて苔むしたトチの老木。  足元の笹藪の中から驚いて飛び出す鳥はホオジロ。森の生き物達との静かな触れ合  いを楽しむ。一ノ谷水場から20分歩いたところで、最後の水場と書かれた水場を  通過する。喉を潤し、2リッターのペットボトルを満タンにする。山頂方面の空が  暗く、時折ガスが上がってくるようだ。  最後の水場を過ぎると、道の両側はチシマザサの壁となって神大ヒュッテまで続く。  笹の陰からヒュッテの白い大きな建物が目に入る。大学に入学した春、入部した同  好会の新人歓迎合宿でここまで登った時のことを思い出した。特大キスリングに真  新しい山の道具を詰め込んで辿った同じ道だ。本格的に山にひかれるようになった  当時の思い出や、先輩たちの笑い顔が蘇ってくる。あの先輩たちは、今でも山を忘  れずにいるだろうか。ヒュッテ横の大段ケ平(おおだんがなる)との分岐に立ち、  しばらくその方向を見つめる。時計を確認しPLUTO さんはまだ登って来ないことを  確信する。分岐点の道標に通過時間を記したメモを挟んでおく。気づいてくれるか  な。(後で聞いたが、気づいてくれなかった(;_;))  ここから山頂までは約30分。背中の荷物がいよいよ重く感じられる。少し登って  は前屈みになって呼吸を整える。幾度となく同じことを繰り返しながらノロノロと  登ってゆく。千本杉の森を抜け、丸い稜線が山頂の近いことを教えてくれる。山頂  避難小屋の三角屋根が見え、最後のひとがんばりだ。途中、左に折れて古生沼に立  ち寄る。氷ノ山を特徴付ける標高1500mの高所湿原。太古の昔から、雨や雪を  地中深く吸い込んで山を潤し続けてきた湿原は、今も渇くことなく静かにこの山を  守っている。ブナ林の大規模な伐採や、林道の敷設といった大きな傷を負った氷ノ  山を、変わることなく守り続けている。  山頂は私一人のものだった。曇ってはいるが、展望はまずまずだ。西に連なりなが  ら雲に消え入る因幡の山々、北に続いて氷ノ山と共に因幡と但馬の国境を形成して  いる扇ノ山(おうぎのせん)、足元から時計回りに半円を描いて鉢伏山に続くダイ  ナミックなブン回し尾根、その尾根に囲まれたススキ野原の鉢伏高原、その奥に日  本海に向かって北上する但馬中央山脈、東には群れなす丹後や丹波の山脈、南には  ピラミダルな三室山をランドマークに、西に続く後山などの岡山県北の山々、遙か  南に霞む播州の山並みが、ぼんやりした空気を通して見渡せる。残念ながら今日は  大山は見えないようだ。独り占めの展望を十分に楽しんだ後、小屋に入る。  小屋の中は綺麗で、よく管理されていることがうかがえる。2階に上がり、まずは  畳を敷く。毛布や布団が綺麗に畳んで置いてある。シュラフを広げ、今晩の我が寝  場所を確保する。ザックから食料とストーブを出し、1階に下りる。寒いのだが、 まずは山頂でのビールとしゃれこむ。北の窓を開け放ち、斜陽に浮かぶ鉢伏山を望 む。スルメをアテにチビチビ呑んでいると、二人の若者が入ってくる。京都から来 た学生らしい。やはり東尾根から登ってきたという。今晩はこの小屋で泊まり、明 日はブン回しを鉢伏山へと、私と同じコースを辿るらしい。  16時前、還暦記念登山だという二人の御夫婦が小屋に入って来られる。てっきり  泊まりかと思えば、これから下山するという。話を聞けば、今日はまず天滝を見て、  鉢伏山に登り、最後に氷ノ山を登ってきたのだという。何ともお元気なお二人だ。  いずれも林道を使っての最短コースを歩かれているが、そのパワーには恐れ入る。  山頂での記念撮影のシャッターを手伝い、暮れかかる中を大段ケ平に下山されてい  った。  小屋の窓から時折身を乗り出し、登山道に目を馳せる。16時25分、ほぼ予測し  た時間通りに横行渓谷から登ってきたPLUTO さんの姿が見えた。PLUTO さんが私を  見つけて手を上げる。私も応える。小屋から飛び出し、5カ月降りのPLUTO さんの  笑顔を出迎えた。   【登山日】94年11月 2日(水)   【目的地】氷ノ山(ひょうのせん)1510m   【山 域】兵庫県北部・因但国境   【コース】関宮町福定より東尾根経由   【天 候】曇り   【メンバー 】単独   【マップ】エアリアマップ59「氷ノ山」   【タイム】福定駐車場12:30〜東尾根取付13:08〜東尾根避難小屋13:30-13:40〜        一ノ谷水呑場14:10〜最後の水場14:30〜神大ヒュッテ14:45〜山頂15:20 ********  以降、PLUTO さんの親発言(#203)の中間部、 》1625 氷ノ山頂上(1510m)着。ふう、やっと着いたわい。頂上小屋の窓からCathy 》さんが顔を出している。手を振って合図。6月の関但オフ以来の顔合わせである。  に続く… (^^ゞ  もう一ヵ月も前の話で、その後氷ノ山にも雪便りが聞かれました。先に報告してく  れたPLUTO さんの記述と併せて、晩秋の氷ノ山の表情を書き留めておきたかったも  のですから。 ▲▲CATHY@たじまもり▲▲ ↑ページトップへ