阿瀬渓谷は萌葱色(兵庫県北) | |
発電所を見下ろす膨らみに車を置く。手前に通行止めの立て看板。よそ者に 対するけん制かと思えたが、歩いてみて実際路肩が崩れて危険な個所があっ た。今年の雪は相当なものだったのだろう。それでも奧の駐車場には満杯の 車。まわりの八重桜が満開で、厚ぼったい花をたわわに咲かせていた。 こたじま達がしきりに経過時間を訊ねる。一つのザックを10分交代で背負 っているらしい。少しでも時間がオーバーするともう機嫌が悪い。あいかわ らず、一番下のこたじま/GENはハイトーンのフルボリュームの声を上げ、そ の度に私は「う〜るさいっ!」を連発しなければならなかった。「あんたの 声の方がよっぽどうるさいわ」と、妻たじまにたしなめられつつ。 源太夫滝からは賑やかな人の声が聞こえた。今日は鳥も賑やかだ。先程、目 の前の梢でキビタキの夫婦連れが挨拶して行った。オオルリ、ミソサザイと いった歌い手たちの声が高らかに谷を駆けめぐる。気温は少し低め。歩くの にちょうどの爽やかな空気だった。 谷の水音は、雪解けを集めて大きく響いた。谷越しに見える斜面は芽吹きの 淡い色に輝き、所々にヤマザクラの桃色や、タムシバだろうか、真っ白な色 を交えていた。久しぶりの山道、まともに手入れもしない山靴は、それでも 未だに頼もしい。使い込んでヨレヨレの靴、それに今日は大学のネームの入 った厚手のシャツを着ていた。20年以上の月日が流れても、同じ楽しみを 持ち続けていられたことが嬉しい。頭は白くなり始め、時折浮き石に翻弄さ れはしても。 不動滝のつづれ織りを登り切り、お不動さんの祠の裏の岩場で昼食。母たじ まが用意してくれたおにぎりを頂く。暖かいものをと、カップラーメンを作 るが、子供たちはおにぎりより喜んで食べる。インスタントな時代、インス タントな大人にだけは成るなよな。母たじま作のワラビの酢の物を食べると ほんのり山の味がした。今日も、山の恵みを少しばかり分けて頂くつもり。 登る時間が遅かったせいか、途中、下ってくる人とは何度も出会った。若い 男女のグループが下りてきて、「この山に、若いのは珍しいなあ」と私が言 えば、「グループ交際じゃないの」と、とぼけた返事を妻たじまが返した。 『合ハイ』など、今や完璧な死語なのだろうか。シャツの刺繍文字をもう一 度見た。 その昔、人家であった名残の石積みが現れると、母たじま、妻たじまは俄然 勢いづく。道から逸れた母たじまより最初の報告が入る。どうやらワサビの 群落を発見したようだ。こたじまも参加してワサビ摘み。白くて小さな花は よく見るととても可憐である。根を残して、家族で食べられる分だけ有り難 く頂いた。ふと足元を見ると、大きな動物の糞があった。熊だろうか。こた じま達を脅しながら、秘密の花園を後にした。オオルリが一際大きく真上で 鳴き続けていた。 道の脇の湿地にはザゼンソウが葉だけになっていたが、えんじ色の仏炎苞が 残っているものもわずかに見られた。今年の山の春はやはり遅い。登山道の すぐ上まで雪がなだれ落ちている箇所があった。沿道にはスミレを中心に、 ヤマルリソウ、イチリンソウ、イカリソウ、ショウジョウバカマなどが目に ついた。最後の橋を渡るといつもの終着地、廃村金山である。 空は朝より回復して、さらに爽やかな青空に変わっていた。唯一村の歴史を 今にとどめる分校の建物も、手入れする人も無いのか屋根が朽ちていつ倒壊 してもおかしくないような状況であった。中の黒板には地元の山の会の注意 書きがあったが、最近手が入った形跡は全くなかった。今年の大雪で、この 建物の末期が一気に近づいたように感じた。山の水でコーヒーを入れ、一息 ついてから来た道を戻った。 不動滝のトチの木まで戻ると、突然ジュウイチの鳴き声が聞こえた。夏鳥た ちで賑やかになるこれからの季節の阿瀬渓谷。今日ばかりは、こたじま達の はしゃぎ声の方が大きかった。 【登山日】96年 5月 6日(月) 【目的地】阿瀬渓谷を廃村金山まで 【山 域】兵庫県北部但馬山岳 【コース】金谷〜廃村金山ピストン 【天 候】晴れ 【メンバー 】たじまもり一族(5人)、母たじま 【マップ】エアリアマップ59/氷ノ山 【タイム】時間見なかったなあ(^^ゞ ○▲▲たじまもり▲▲☆ |
らかん橋にて |