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冨山さんと辿る、阿瀬渓谷




但馬学研究会5月例会「新緑の阿瀬に金山の面影を訪ねる」にゲストで参加さ
せてもらった。但馬学の春の例会はアウトドアで行われるので、これまでにも
何回かご一緒した。2年前カヌーで洪水後の円山川を下ったときには、案内役
として呼ばれた。そういや、カヌーはそれっきりやっていない。

阿瀬渓谷は今春すでに3度目だ。私のHPでは頻繁に登場するし、高校時代か
ら今に至るまで私のホームゲレンゲであることに変わりない。いつも家族や友
と、時には一人で渓谷を歩くのが好きだ。何度同じ道を歩いても飽きることが
ない。そんな道を、今日は冨山さんと一緒に辿った。冨山さんに関しては但馬
学研究会に詳しい。1962年に廃村となった金山最後の住人だ。

頼まれればいつも当時のことをリアルに、おもしろおかしく語ってくれる冨山
さん。最後の住人と言われ続けることで、気持ちの中では吹っ切れない部分が
いつもあったと思う。79歳の冨山さんは最近足を悪くされて、今日は金山ま
では同行頂けないということであった。行けるところまで案内して、自分は途
中で引き返すからと歩き始めた。出発前にくくり罠の仕掛けを披露してくれる
冨山さんは、狩猟で生きてきた人だ。

思案橋の案内板を見入る一行。ここまでの道中、2箇所で崖が崩壊したルート
を通るが、これは発破を仕掛けて崩したものだと説明を受けた。一段下に並行
して道があるのを不思議に思ってきたが、そういうことだった。最初に渓流を
渡る「からん橋」、大水が出るたびに流される木橋に蔓を絡ませて防護したこ
とで「からむ」が「からん」橋となった。左斜面から明瞭な獣道が登山路を横
切り、植林を下りて沢に通じている。獣はここしか沢を渡る場所がないから、
猟はいとも簡単だった。待っていれば獲物が出てくるから、鉄砲で撃てばいい。
冨山さんの話を聞きながら、周囲から漂う獣臭を私は感じていた。

50キロからの荷を背負ってこの道を行き来していた山の男たち。途中、荷を
下ろさずに口を寄せるだけで楽に岩清水を飲める場所があり、そこを「楽水」
と呼んだ。不動尊の急斜面では、ここで栃餅作りにまつわるTVロケがあった
ときの話で笑わせてくれた。栃の実がなかったので、ふもとの家からドンゴロ
スに入れた実を持ち上がり、そこらに撒いてから撮影したんだと。

不動尊上の取水ダムは若林へ水を流し、麓の金谷の水力発電をまかなっている。
渓流沿いのスギ植林、元はすべて水田だったところに植えられた。住居の敷地
と思ってきたが全部田んぼだったのだ。たくさんの人が住み、その糧をまかな
うための田んぼも広く耕作されていたのだ。金や銀が出て山が隆盛を極めたの
は室町時代後期。坑道で命を落とす人も多く、その弔いの場所がここだと、広
い窪地に石が点在する場所を指した。言われてみれば不自然にその一帯だけに
石が目立つ。何気に散らばった石が、この山の墓碑銘なのだ。

今春2度目の分校跡はすっかり緑に包まれていた。冨山さんは痛む足を気遣い
ながらではあったろうに、そのことは一言も言わずに、結局最後まで我々の案
内をしてくれたのだった。その健脚ぶりに敬服する。「さあ、普通に歩いて50
分ほどでしょうか。子供時分にゃ、半分の25分も掛からんと帰りよりました」

分校は昨春、とうとう屋根が落ちた。そんな話を冨山さんと二人になったとき
にした。「いつまぁでも残っとるのが嫌でしてなぁ」 噛み締めるようにポツ
リとおっしゃった。そんな冨山さんが自宅に立って当時の話をされた。風呂釜
や一升瓶が転がっていて、まだ人の匂いは完全に土に還ってはいない。山での
冨山さんの暮らしぶりは、これまでに何度かお聞きする機会があった。同じ話
を今日、ここで、冨山さんの「家」でみんなでお聞きした。この先、決して忘
れることのない一日となった。

昼食後、伝説の水力発電機に案内して頂いた。何十回とここを訪ね歩いてきた
私も初めて見るものだった。ブッシュを分けて入った山際にあり、普通に歩い
ていれば目に付かないものだ。取水口はここから少し上流の小さな滝にあり、
ヒューム管を下った水流がタービンを回し、ベルトで掛けられた発電機を回転
させて発電する。すべての物資は村の男たちが担ぎ上げた。そして昭和30年、
待望の電気が村に通った。冨山さん一家が最後に村を後にした昭和37年の暮れ
まで、この発電機は回り続けた。寄贈された分校のテレビには、金山峠を越え
た向こうの村の連中も山仕事帰りに立ち寄って、大相撲を楽しんだのだという。
消費電力を一定にし、発電機の回転を安定化させるために、昼夜を問わず村中
に大量の電球が灯された。不夜城と化した村のエピソードには、いつも笑わせ
てもらう。今日もその話でみんな笑った。発電機を撫でる冨山さんの手を見な
がら、しかし、今日だけは特別な感慨で、当時の村の暮らしぶりを思ってみる
のだった。

渓流の上にフジの花房が垂れている。ウスバシロチョウが羽を休め、アサギマ
ダラが優雅に飛んだ。沢音の中で聞こえたのは、オオルリ、キビタキ、クロツ
グミ、そしてアカショウビンまでが近くで鳴いて、冨山さんの帰りを歓迎して
いるようだった。ここまで上がってくるのは4年ぶりとのことだった。

分校前の広場に柿の木がある。熊の爪痕と、樹上には熊棚があった。この下に
は「熊出没注意」の看板があった。村はずれの土橋を戻る。冨山さんが家族を
連れて山を下りた雪の宵の場面を、それぞれに思い描きながら。

淡々と下った。途中で一行は龍王滝へ寄り道。冨山さんが腰を下ろし、私も少
し離れて座った。足は大丈夫ですかと尋ねてみた。休むと痛くなるからと、タ
バコを一服するとすぐに立ち上がった。後に続く。春の花の時期は終わり、目
につく花が減った。コガクウツギミズタビラコフタリシズカ、初夏の涼し
げな花にレンズを向ける。

からん橋まで二人で歩いた。その昔、豊岡高校の遠足で、橋の下にあった巣か
ら出たスズメバチが生徒を襲い、大騒ぎになった話を聞いているうちに皆さん
が追いついた。源太夫滝を最後に見送り駐車場に戻る。

村の仲間の多くが山を捨て、都会に出て行った。自分は村を下りてからも麓に
新居を構え、山とともに暮らしてきた。それでよかった。今でも夢に出てくる
我が家は、今住んでいる家ではなく、決まって金山の家。しかも、なぜか車で
戻っとるんですわ。そう言って笑わせてくれた時、冨山さんが金山に最後まで
住み残った理由が分かったような気がした。この山が好きでたまらないのだ。
そして、私はいつものようにこの道を歩き続けることで、ここで暮らした人た
ちの足跡を繰り返し辿り、語り継いでゆこうと思っている。


撮影:D2X+SIGMA17-70MACRO

 【 登山日 】07年5月26日(土)
 【 目的地 】阿瀬渓谷
 【 山 域 】但馬
 【 コース 】阿瀬渓谷駐車場〜廃村金山ピストン
 【 天 候 】晴れ(朝から黄砂強し)
 【メンバー】但馬学一行、たじまもり
 【 マップ 】持たず(エアリアマップ「氷ノ山」参照)
 【 タイム 】P10:40…廃村金山12:30-14:30…P16:00