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矢田川/小原〜三谷

 矢田川はふるさとの川である。今暮らしている街は、両親が私を育ててくれた土地
 であり、その意味でのふるさとに違いない。でも私には「ふるさと」と呼ぶに相応
 しいもう一つの場所がある。それが今回、はじめてカヌーで下ることになった矢田
 川である。

 私が小学生だった頃の夏休み、両親は父の生家に私を預けた。下の二人の子供に手
 を焼いていたからかもしれないが、私が進んで祖父の家に行きたがったことが一番
 の理由だった。私の夏休みはの思い出は、矢田川の思い出でもあるのだ。

 祖父の家の前には、道を挟んで精米工場がある。家人は今でもこの建物を「コウバ」
 と呼び、小原(こばら)の人達は祖父の家を「水車」と呼ぶ。古くから精米業を営
 んできた。工場の裏はすぐ矢田川の堤防である。堤防の斜面は工場から出た籾殻
 (スクモ)の山が出来ていた。堤防の下(しも)にはサワグルミの木があって、実
 のなる季節にはよく登った。堤防が低くなったところから川に下りる。護岸の役目
 と魚礁を兼ねた、大きな砂利を剥き出しにしたコンクリートの構造物が淵に沈めて
 ある。夏休み、この淵には白い旗が立って、村の子供たちの水泳場となった。

 曇り止めにヨモギの葉っぱで水中眼鏡を拭き、大きく息を吸って淵に潜る。アユが
 目の前を横切り、ウグイ(地元ではイスと呼ぶ)が光の差し込んだブロックの陰に
 潜んでいる。竹に太いゴムを張った鉄砲ヤスと呼ぶモリを持って、村の年長者が潜
 っては獲物を捕らえる。その度に回りから感嘆の声があがる。淵の手前には瀬があ
 って、ネコヤナギの陰には秘密の砂場があった。

 何年もの間、矢田川の姿は変わらなかった。大きな台風が通り過ぎた後でさえ、す
 こし瀬の流れが変わる程度で、いつもの水泳場や、秘密の砂場はそのままであった。
 いつの頃からだろう。川はどんどん姿を変えていった。小学校にプールが出来、川
 で遊ぶ子供が減ったのと時期を合わせるかのように、川に大水が流れるようになっ
 た。その度に元の淵が埋められて、新しい瀬が出来た。やがてコンクリートの護岸
 工事が進み、当時の川はすっかり姿を消した。

 小原の村を上(かみ)に抜けてしばらく行くと、道路から川に張り出した小さな島
 のような山がある。地元で弁天山と呼ばれるところである。つい最近まで、この山
 の回りにある深い淵だけは、その姿を変えなかった。大きな瀬がまともにぶつかる
 弁天山の淵には、いつも渦が巻いていた。渦の下流は山の陰になった薄暗い瀞場で、
 子供の頃は気持ちの悪い場所でもあった。当時ここには赤旗が立っていて、子供た
 ちの遊泳禁止場所になっていた。ここはもっぱら村の大人たちの遊び場。大きな鯉
 や鰻がよくとれた。私が少年に成長してからは、大人たちに混じりここでよく潜っ
 たものである。

 1990年、春に東京から戻ってきた年の9月のことであった。台風19号が但馬
 全域を襲い、近年に無い大きな被害をもたらした。矢田川から氾濫した泥流は小原
 の村を襲い、下(しも)の大野の村との間にかかる橋を押し流した。この時、長く
 姿を変えることのなかった弁天山の淵は、山から流れ出した大量の土石流によって
 その大半が埋められてしまったのである。この台風は矢田川の姿を大きく変えたば
 かりか、祖母の命さえ奪い取っていった。

 私にとってのふるさとの川、矢田川を、これから下ろうとしている。

*****

 約束の10時を少し過ぎていた。対岸の県道を走りながら、黄色のChinook を載せ
 たTakao さんの車を確認する。何か他にも沢山の車が河原に止まっている。三谷の
 小さな部落に入り、酒屋を過ぎたところで左折。矢田川にかかる小さな橋を渡って
 少し戻ると、本日の集合場所である楽農園だ。河原で牛とヤギが草を食(は)んで
 いる。牛糞を避けながら、Takao 号の後ろにつける。他の仲間は都合がつかず、前
 回と同じく今日もTakao さんと我が家だけの組み合わせとなった。

 楽農園ではすでに沢山の人が集まり、何かのイベントが始まる予感。ここの経営者
 である、元校長先生にまずはご挨拶。河原でのバーベキューや、農園前の瀞場での
 カヌー遊びの許可を申し出る。まあ、どこまでが私有地なのかは分からないが、こ
 の河原一帯は楽農園の持ち物であるようだし、元校長も偏屈者らしいことを噂で聞
 いた。なるほど、一言二言の会話であったが、いかにもの雰囲気が伝わってきた。

 車2台で5Km上流の弁天山に向かう。小原の祖父の家の前を通り過ぎる。義叔母
 (おば)が溝で何やらしている。今日は声もかけずに失礼。ここから弁天山はすぐ。
 川の中に張り出したこんもりした小山がそうだ。小さな橋を渡ってすぐ左に、河原
 に下りる小さな道を見つける。弁天山のすぐ上流の河原に車をつける。元々ここは
 大きな瀬であったところだ。今は目の前に小さな流れがあるだけ。水量も少なく、
 最初からライニングダウンである。

 今日はKeowee2 に一人で乗り込む。前のシートを真ん中まで下げ、後ろのシートに
 は荷物を放り込む。足下は広々。これがKeowee2 の贅沢な使い方。足は目一杯のば
 せるし、立て膝も、あぐらだってかけるぞ。ここのところ、海より川で浮かべるこ
 とが多くなったTakao さんのChinook もスタンバイOK。今日は最初からスプレー
 カバーを付けている。私はノースリーブのウェットに、Tシャツ、その上からスタ
 ジャン。上に着る本格的なパドリングウェアが早く欲しいものだ。

 10:45 、家族の見送りを受け、さっそうとポチ。(^^;  浅い瀬をズルズル艇を引き
 ずってゆく。弁天山の淵から漕ぎ出す。災害後、初めてまともに見る弁天山の姿だ。
 左手から流れ込む小さな川が、淵を埋め尽くすほどの大量の土砂を運んできたこと
 に改めて驚く。渦を巻いていた大きな淵は完全に埋まり、山かげの瀞場まで土砂が
 押し寄せている。悲しい気持ちに襲われた時、突然空から俄雨が落ちてきてきた。
 弁天山を離れるにつれ、雨も静かにあがって行った。

 変わり果てた思い出の河原を下る。あまりの変わりように、当時のことを思い出す
 ことも無かった。もうこの河原に、村の子供たちの声はしないのだろう。「あの鳥
 は?」 突然のTakao さんの声に我に返る。セグロセキレイであることを教える。
 ションベン鳥ともいうことを、尻尾の動作を見ながら説明。11:05 、弁天山から20
 分で新しく架け替えられた大野橋通過。橋手前左、テトラの瀞場あり。

 橋の下から右に向かう。すぐにポチ。ちょっとした瀞。こんなことを何回か繰り返
 す。しかし水は澄みきっていて、川底の石まで綺麗に見える。瀬では魚がジャンプ
 している。あ、カワガラス! 「川硝子」では無い。念のため。全長20cmくら
 いの茶褐色の鳥。水に潜って魚を取る。綺麗な川にしか住まない鳥だ。その後もた
 くさんのカワガラスに出会うことになった。カワセミとおぼしき青い鳥が、少し先
 を横切って行くのも見た。

 11:30 、新しくできたゴミ焼却場前を通過。浅瀬が続き苦労するが、その先に待っ
 ていた瀞場には大感動。まさに花鳥風月の趣。深い竹藪、苔むした岩肌。深い碧の
 淵をゆっくり漕いでゆく至福の時間。ああ、いいなあ。川岸の上から紐が水中に下
 りている。ここら辺で言う、川蟹のカゴが浸けてあるのだ。引っ張り上げると、魚
 の頭やアラが金属のカゴに無造作に入れてあり、5・6匹のモクズガニがガサゴソ
 這いずり回っている。ほったらかしの簡単な漁だが、矢田川流域では結構行われて
 いる。茹でて食べるのは、身が少ないせいか、私はあまり好まない。この蟹を入れ
 て炊いた「カニ飯」が何と言っても最高。これからの季節、特に美味しい。

 11:40 、大谷橋通過。この下にちょっとした瀬があって突っ込む。正面の竹に危う
 く捕まるところを何とか右に逃げる。Takao さんのChinook は、も一つ小回りがき
 かない。バサバサと音を立てて、竹と格闘。(^^;  瀞場で2人して、やっぱりスラ
 艇が欲しいね。と、顔を見合わせる。この頃になると、Takao さんの綿パンもビシ
 ョビショ状態のようで、「海なら濡れることは無いんだけどなあ。ウェットは居る
 なあ…」と一言。私の方はいたって快適。パドルからの滴と、ポチから解放されて
 乗り込む時に入った水が大分たまってきたが、パドリングに支障無し。でも、もう
 少し寒くなるとやっぱりスプレーカバーは必須のような気がする。

 本日最後の瀞場の向こうに、朝渡った楽農園への橋が見えた。橋の向こうでこたじ
 ま達が大きく手を振っている。橋の手前でお昼のサイレンが遠く聞こえる。あれっ、
 車は右岸の楽農園では無くて、左岸に下りている。まあ、いいか。牛の糞を見なが
 らの食事よりは良い。12:05 、三谷の左岸ブロックにゆっくり着岸。

 河原でバーベキューをゆっくり楽しみ、男の子二人と釣りに興じる。そこそこのウ
 グイが連れて大喜び。その間に妻たじまはこたじま/KAOを乗せて、Takao さんと先
 の瀞場を一周。あの台風19号の復旧作業で三谷の河原に湧出した温泉のお湯を、
 10リッターのポリタンに貰って帰って、今晩の我が家の風呂は温泉だぞぉ。

 もう少し水があればもっと最高だったけど、清流の素晴らしいコースであった。
 帰りの川臭い車内で、初めてのふるさとの川下りをもう一度かみしめるのであった。

 【 行動日 】95年10月22日(日)
 【 河 川 】矢田川
 【 流 域 】兵庫県北部但馬地方
 【 コース 】香住町小原〜三谷
 【漕行距離】約5Km
 【 天 候 】曇り時々晴れ、一時にわか雨
 【メンバー】たじまもり on Keowee2、Takaoさん on Chinook
 【参考地図】5万図/香住
 【 タイム 】弁天山上流 10:45 → 大野橋 11:05 → ゴミ焼却場前 11:30 →
              大谷橋 11:40 → 三谷河原 12:05
 【 川情報 】★堰堤ポーテージ無し
       ★ライニングダウン10回ほど (-_-;
       ★上陸地点の三谷の県道沿いに酒屋あり
       ★三谷の河原に温泉湧出。但し自前のポンプによる汲み上げ要。無料