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大竜巻、小竜巻、大屋川をわたる

 すのーべる邸のエゴの木は、白い小さな鈴の花をたわわにつけていた。昨年
 は全く花をつけなかったそうだが、今年のSnowbellはことのほかきれいだっ
 た。久しぶりに顔を合わせる妻ーべるさんが、あちこちから濃厚な香りを放
 つハーブの説明をしてくれた。これでハーブティを入れましょうか。朝の空
 気には少し甘美すぎるハーブティが体にしみ込んだ。
 
 艇庫には真新しいトーネードが、一際まぶしく横たわっていた。色はアクア。
 ハイボリュームの一人乗りのポリカヤックは、その大きさゆえに日本でのユ
 ーザ獲得に至らないまま、インポーターが輸入を控えてきたという曰く付き
 の艇だ。荷物をいっぱい積めて、しかもホワイトウォータでもガンガン漕ぎ
 下れるカヤックをという、すのーべるさんの要求にピッタリの艇として、
 T&Tさんにオーダーを入れた一艇。本邦初お目見え。まさに今日、すのー
 べるさんは日本で最初のトーネード乗りになるのであった。
 
 とりあえずのフィッティングをし、サイクロンと一緒にトーネードを私の車
 にカートップする。並べてみると、なるほどトーネードはデカイ。とくに特
 徴的なのはバウのロッカーの反り上がり。グンと上を向いた鼻先は、まさに
 激流を下るにふさわしい戦闘的な容姿を見せている。アクアのボディにオレ
 ンジ色の三日月マークがおしゃれだ。バウの横にPRIJONの大きなロゴ。
 バウデッキの裏側には、小物を固定するためのバンジーコードが装備されて
 いる。フットブレイスはバルクヘッド。ヤキマに交換する予定のようだが、
 今日のところは標準仕様のまま。
 
 大屋の谷を遡り、建屋川(たきのやがわ)合流の少し下流を本日のゴールに
 決める。すのーべる車をデポし、着替えを済ませて出艇地へ向かう。昨年下
 った思い出を辿りながら、今日のダウンリバーに思いを馳せる。水量は十分
 で、見え隠れする白い波に気持ちが高ぶる。出艇地そばのマーケットで買い
 出しをし、昨年と同じ河原に車を入れた。
 
 水際に艇を運び、まずはトーネードの進水式。ギャラリーは私だけの寂しい
 儀式であったが、新緑と澄んだ川の水がトーネードの進水を静かに祝ってく
 れていた。ドイツワインを開け、艇にふりかける。川と大地に感謝。アクア
 のトーネードが厳かに水に浮かぶ。初めての感触をすのーべるさんがゆっく
 り確かめている。地上では大きな船だったが、水の上ではそれほどのボリュ
 ームを感じさせない。体格のよいすのーべるさんが乗っても艇が沈むといっ
 た感じはなく、非常に安定感のある動きを見せている。重量級の彼を乗せた
 トーネードは、軽々と水面を動き回っている。
 「Tスラとは全然違うね。これ、いいよ! ほんとにいい!」
 
 漕ぎ出してすぐ、左岸をカワセミが瑠璃色の羽根を輝かせて飛び立った。
 「カワセミが祝ってくれてるね」 すぐそばの枝に止まって、我々を見送っ
 てくれた。最初の堰堤には、釣り人が居た。鮎の解禁にはまだ早いが、なに
 やら本格的な出で立ちの釣り師ではあった。堰堤下はこの日最初の瀬。私自
 身、サイクロンでの瀬は初めてのことであった。ちょっと緊張して突っ込む
 が難なくクリア。この先、瀞場と瀬が交互に現れる。トーネードのすのーべ
 るさんも、まったく不安の無い漕ぎで瀬を次々にクリア。あまりに面白いの
 で、いつもの自然観察のことは二人ともすっかり忘れてしまっていた。
 
 右に牛小屋を見上げるストレートの瀬は、岩の間を縫って200mばかり続
 いている。先行のすのーべるさんは岩陰の向こうにすでに小さくなっていた。
 左の瀬に入った途端、流れの真ん中にある岩を避けきれずに横になってしま
 った。大きな水圧を感じる。まずいなあ。体は完全に水の上にあるものの、
 この状況のまま艇を動かすのは不可能であった。しかた無く脱。スプレーが
 外れた途端、コクピットの中は一気に水で満たされた。張り付いた艇を岩か
 らはがす作業は、ますます困難な状況になってきた。すのーべるさんはすで
 に姿が見えない。渾身の力を振り絞ってなんとか艇を動かし、左の小さなエ
 ディに押し込む。途方もない脱力感に襲われる。一人の水出し作業にも、大
 きな力を要した。作業を完了し再び瀬に入る時、今までにない恐怖感が私を
 襲った。途中、心配したすのーべるさんが歩いて瀬を上って来るのに出会っ
 た。事情を説明しながら、初めて経験した張り付きの恐怖に戦慄を覚えたの
 であった。
 
 瀬の下の右岸で昼食。大きなケヤキが木陰を作っていた。湯を沸かそうとし
 て、先ほどのトラブル時に水を入れたペットボトルを流失したことに気づい
 た。すのーべるさんの水を分けてもらい、二人でラーメンを作る。ほっと一
 息ついた。持ってきた折り畳み式の釣り竿でルアーを投げてみる。一度もヒ
 ットなし。すのーべるさんの入れてくれた食後のコーヒーを戴く。出発前に
 すのーべるさんがフットブレイスの再調整をする。私も時もそうだったよう
 に、最初のフィッティングでは遠すぎたようだ。この頃になると、最初はき
 つくて一人では付けられなかったスプレースカートも、なんとか独力で付け
 られるようになっていた。それでも、超ラージコクピットのトーネードには、
 クエイサーのエキストリームは少し小さ過ぎる感がある。
 
 午後からのダウンリバーも、1.5級超と思われる瀬が断続的に現れては楽
 しませてくれた。大きな三角波やちょっとした落ち込みに突っ込むたびに、
 波しぶきが顔面にスプラッシュした。瀞場から見上げる山肌にへばりつくよ
 うに建つ左近山の古い民家の風景は、何度見ても心の和む風景であった。
 この屋敷に今なお暮らす人たちの生活ぶりを少し思ってもみた。伊豆橋手前
 のゴロ岩の浅瀬は、昨年は難儀した場所であるが、今回は水量があってライ
 ニングダウンは免れた。伊豆橋下の瀬は短いがパワーがあって面白かった。
 大きな瀞場が迎えてくれ、岩に上陸してルアーを投げてみる。これまたまっ
 たくヒットなし。その間、すのーべるさんはトーネードに乗ったまま、静か
 に瞑想に耽っていたようだった。右岸のスギ林からサンコウチョウが鳴いた。
 横切っていった白い色の目立つ鳥は、ヤマセミだったのだろう。
 
 浅野橋下の瀬を通過し、建屋川と合流。最後の瀬を楽しむ。右岸に艇を付け
 上陸。今日一日の無事を感謝し、年に一度の我々の秘密の楽しみを終えた。
 もうすぐ、我々の下ってきた瀬には、たくさんの鮎釣りの竿が並ぶ。
 
 それにしてもすのーべるさんのトーネード、本当に彼の体型と指向にぴった
 りはまった良い艇だった。私がコクピットに座ると、まったく大きすぎて手
 に負えない感じの艇なのだが、すのーべるさんにとってはまさに竜巻を起こ
 させるすばらしい遊び道具となった。私自身サイクロンでの本格的なダウン
 リバーは初めてのことであったが、瀬の中での安定感は十分に感じることが
 できた。ただし、操船技術の未熟さも実感し、さらなるトレーニングの必要
 性も感じた一日であった。